有村架純演じる“彼女”に中絶の過去…絶望的な涙。命を葬った後悔が迫りくる|ドラマ『海のはじまり』

有村架純演じる“彼女”に中絶の過去…絶望的な涙。命を葬った後悔が迫りくる|ドラマ『海のはじまり』

弥生も朱音もひっそり溜めていた悲しみがふいに溢れ出る瞬間

第2話ではもうひとつ、涙が印象的な場面がある。朱音が水希を思って涙する場面だ。遺影に向かって話しかけ、お水を取り替えようとして、水をこぼしてしまい「ごめんね」「ごめんね」と言いながら、涙が溢れ出る。溢れた水が呼び水になったように止まらなくなる。

ただ遺影を見て泣くよりも、このようなワンクッションが入るとオリジナリティも出るし、何気ないときに悲しみを思い出して泣いてしまうリアリティも出る。弥生も朱音も、こんなふうにお腹のなかにひっそり溜めていた悲しみがふいにちょっとした刺激で溢れ出る瞬間があることを実感させてくれる。

話を戻そう。弥生のトイレの涙は、このときはまだ、なぜこんなに絶望的に悲しみをたたえているのかわからない。ずっと、物わかりよく振る舞っていたけれど、やっぱり、夏に子供がいたことがショックなのかもしれないと思って視聴していたら、翌朝、弥生は引き出しのなかから花柄の手帳を取り出す。

そこに挟んであったのは、エコー写真。弥生はかつて中絶していたのだ。相手と合意のうえで、中絶費用も出してもらっていた。中絶同意書に、コップに入ったお茶の影が映っている回想場面も儚(はかな)くもの悲しい。

水子供養のお墓。一昔まえだったら、赤い前掛けをしたお地蔵さんがずらっと並んだ画になりそうなところだが、現代はロッカー式の収蔵庫。弥生はおりにつけお参りに来ているようだ。

そして、弥生はお参りしたあと、いつものようにさばさばした様子で、夏に電話をかけ、海のお母さんになることもやぶさかではないというような話をする。でも電話を切ったあとは憂い顔だ。

子供を生んだ水希と子供を産まなかった弥生、切ない対比

子供を生んだ水希と子供を産まなかった弥生。なんとも切ない対比である。


子供がいたことを突然知ってなかなか実感のわからない「海(パパ)がはじまらない」夏と、子供を生むことを選ばなかった弥生。

これはどちらが辛いだろうか。比べるものではないけれど、命を葬ってしまったことはどうしたって消せはしない。

第1話では夏の、水希の思いに気付けなかった後悔が胸に迫ったが、第2話では、命を葬った弥生の後悔(懺悔?)が迫りくる。『海のはじまり』は海と弥生の業の物語なのかーーとやや受け止めきれないものを感じるなか、ひとつだけ、救いがあった。

鳩サブレーである。

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