ハナコ・秋山寛貴、美大に行くか養成所に行くかで迷った過去も「人前に立ったからこそご褒美がもらえたと思っている」<人前に立つのは苦手だけど>

ハナコ・秋山寛貴、美大に行くか養成所に行くかで迷った過去も「人前に立ったからこそご褒美がもらえたと思っている」<人前に立つのは苦手だけど>

お笑いトリオ・ハナコの秋山寛貴が、初のエッセイ集『人前に立つのは苦手だけど』を上梓した。人前に立つのが苦手な秋山が芸人になった理由をはじめ、学生時代のエピソード、ハナコの結成からキングオブコントで優勝するまでの軌跡など、13のエッセイが収録されている。創作秘話やこぼれ話をたっぷり語ってもらった。

■デッサンで培った観察力がコント作りに生きる

――エッセイ集の冒頭で、「小学生の頃はスピーチで半泣きになったほど人前に立つのが苦手な僕ですが」と自己紹介なさっています。具体的には、どんな場面が苦手でしたか?

声を発しなければいけない瞬間すべてが苦手でした。日直の朝夕の挨拶とか、授業の発表とか。恥ずかしいし、とにかく苦痛でしたね。

――本書は「そんな引っ込み思案な性格なのに、芸人になった自分」というのを客観的に見つめたエッセイ集ですね。

そうですね。自分とはどういう性格で、どういう人間なのか。それを書いてみようというのがテーマのひとつだったので。「小説 野性時代」で連載が始まるとき、自分でもいくつかタイトル案を考えてみたんですよ。たとえば、「こんなに薄い油絵は見たことがない」とか、「起きているからって、聞いているとは限らない」とか、「お先にどうぞ」とか、「余りものでいいんです」とか。引っ込み思案な性格を表していると思います。

――タイトル候補だった「こんなに薄い油絵は見たことがない」のエピソードは、本編『正直に「はい」と名乗り出た』で詳しく書かれています。

タイトルを考えるとき、過去の自分らしいエピソードがいくつか浮かんだので、そのままエッセイのネタにしました。僕が通っていた高校の「美術工芸コース」は、個性が強くて面白い人がたくさんいたんです。そしてその個性は描く絵にも出る。僕の絵はものすごく薄くて、陽キャだった同級生の田中の絵はめっちゃめちゃ濃かった…。その対比を軸に、1本書けました(笑)。

――デッサンの面白さについても触れていましたね。

デッサンは本当に面白いです。りんごを描けと言われたら、ほとんどの人が赤い色を塗るじゃないですか? でも授業では「先入観を捨ててしっかり観察せよ」ということを学びます。赤以外にも茶色や黄色い部分があるし、形も丸じゃなくてどちらかというと楕円形に近い。デッサンで培った「疑いながらちゃんと見るクセ」は、今、コント作りにも生きていると思います。日常のふとしたシーンで「あれ?」と疑問に思うことから、ネタが生まれていくので。

■M-1甲子園に出たことでお笑いの道が拓けた

――「あの日イオンから逃げなくてよかった」には、芸人になるきっかけとなった高校生のお笑い大会「M-1甲子園」に出場したときのことが書かれています。高校1年から3年まで3年連続で出場し、3年時には中国・四国予選で優勝なさったんですよね。

1年生のとき、幼なじみのじゅんに誘われて、初めて出場しました。僕のことをかわいがってくれていた父方の祖母は、「ひろくんがこんなことするたあ思わんかった」と、かなり驚いていましたね。とにかく人前に立つのが苦手な子どもだったので。そんな祖母が、2年生の大会2日前に亡くなってしまって…。

父が県外の会場まで送迎してくれることになっていたので出場するのは難しいと半ば諦めていましたが、「送って行く」と。お笑い好きの父は、僕の挑戦を応援してくれていて、どうにか出場させてあげたいと思ってくれたみたいで。

――優しいですね。客席からの反応はいかがでしたか?

さすがに1年生のときより、声も通ったし、笑ってくれている人もいました。要は漫才っぽいことができたんです。それで「あと1回くらいやれば、今よりはできるんじゃない?」という思いで、3年生でも出場することに。2年生のときにコンビを組んでいた同級生のひかるが相方だったので、いい意味での慣れもあり、見事、優勝することができました。人生で初めての1等賞。すごく嬉しかったです。

――その1等賞があったからこそ養成所のオーディションを受けて、芸人になるという道が拓けていったわけですもんね。

そうですね。でもすんなり選んだわけではありません。なにせ慎重すぎる性格なもので(笑)。3年生の12月に養成所のオーディションを受けたんですけど、卒業ぎりぎりまで、養成所に行くか、それとも合格した美大に行くかで迷っていました。卒業間近の頃、担任で美術教師だった丸山先生に、「やっぱり養成所に行こうと思います」と伝えたら、「どうした? 秋山、おまえ絵が好きだろ。あんなにデッサンも頑張っていたじゃないか、考え直せ!」と。

――必死で止められたんですね。

僕のなかでは数カ月かけてやっと出した答えだったけど、先生にとっては寝耳に水。きっと血迷ったと思われたのでしょう。僕が大人でも、まあ、止めますよね。根が真面目なので、誰より真剣に毎日デッサンしていましたし(笑)。

丸山先生、今、どうしているかなぁ? 冷蔵庫もテレビも持っていない、だいぶ変わった人だったので、僕がテレビに出ていることを知らない可能性もありますが。いつか「無事、芸人になれました」と伝えに行きたいですね。

■カテゴライズするなら「おとなしい芸人」

――芸人になってからのエピソードも満載です。「笑って欲しくてネタを書く」は、秋山さんがネタやエッセイをどのように書いているのかがわかる内容ですね。

ある朝、「今日1日のことを書いてみよう」とふと思い立ち、北海道でライブがある日に移動の乗り物の中や、楽屋などで書いたものなんです。普段から、コントやエッセイのネタになりそうなキーワードをスマホのメモに書いておくのですが、それを眺めながら、ああでもないこうでもないと頭を悩ませている内容です。ちょうどその日、飛行機が遅延してくれたおかげで、書くネタが増えて嬉しかった記憶があります。

――メモには「菊田」のフォルダも! そしてそれにまつわる話もちゃんと入れられていて、ハナコファンならずともニヤッとしてしまいます。

「菊田」メモに入れているのはごく一部。メモに書かなくても覚えられる面白いエピソードがいっぱいあるんです。彼が何かやらかしていても、あえて泳がしておきますね。僕に注意されるのも嫌でしょうし、なんなら、もっと大きなところで怒られてほしいですから(笑)。

「岡部」メモもありますよ。ちなみに直近だと「電話の声がちっちゃい。さすがにその声じゃ高性能のスマホでも拾えないだろう」と書いていました。メンバーたちの言動を注意深く観察しているわけではないけれど、コントのネタになるかもしれないな、くらいの気持ちでメモを取るようにしていますね。

――「ご期待下さいと言ってみる」では、「ハナコのコントを見て死ぬのをやめた」というファンレターをもらったことがつづられています。

人前に立つのが苦手な僕ですが、それでも人前に立ったからこそ、そういった感想や反響をもらえる。ご褒美をもらえた気がしてすごく嬉しいです。でもね、やっぱり自信はないんですよ。ハナコの単独ライブとかも、「お客さん、来てくれるのかな?」と心配だし、このエッセイも「自分のことばかり書いていいのかな」「つまらなくないかな」といつも思っていたし。出版イベントのチケットも売れるか不安でした。「売り切れました」と言われたときは、「いや、埋まったんかいっ!」と、漫才みたいにツッコんでしまったほど(笑)。

――そんなに引っ込み思案なのに成立するお笑い芸人という職業は奥深いですね。

ここ数年でだいぶ「芸人には暗い人も意外といる」「人見知り芸人も多いらしい」といったことが認知されてきたと思います。今後はさらに細分化されていくんじゃないかと思います。僕もエッセイを書きながら、自分をカテゴライズするなら何だろうと考えてみました。一瞬、「ネクラ芸人」と思ったけれど、又吉(直樹)さんのようにボソッと言うのが面白い人とはちょっと違う。

そのときふと「おとなしい芸人」かもしれないと思ったんです。ひな壇でワーッとしゃべっている芸人の中に、「俺も!俺も!」と参加していくことがなかなかできない。思えば、学校のクラスでも親戚内でもそうだったな、と。昔から輪の外にいるタイプだったんです。このエッセイを書いたことで気付きました。自分を深く知れた気がしています。

――最後に、今後もまたエッセイを書きたいですか?

ぜひ書きたいですね。書いていいと言ってもらえるなら(笑)。僕の周りには、なぜかキャラクターの濃いユニークな人が集まってくるんです。メンバーはもちろん芸人仲間や昔の知り合いなど、ネタは尽きそうにありません。これからもスマホのメモに面白エピソードを書いて準備しておこうと思います。

◆取材・文/高倉ゆこ
撮影/後藤利江

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