一条天皇を語る上で欠かせないのが、定子という中宮の存在です。生涯をかけてひとりの女性を愛しぬく姿は、平安の世では稀有なものでした。
そして、一条天皇の母である詮子、入内する道長の娘・彰子も大きな影響を与えた存在です。一条天皇にとって母とは、定子、彰子の存在とは。
塩野瑛久さんにお話を聞きました。
心の中では「母ちゃんそんなことを言わないでくれ」
まずは母・詮子(吉田羊)について。「僕の中で考え得る限り、やっぱり愛していますし、きっと感謝もしています」と塩野さん。
「一条天皇の人格や、頭の良さは母上のおかげなので、その点は感謝していると思うんです。でも夫である円融天皇に愛されなかったという母親の背景も一条天皇は知っているので、本当の自分を見てくれていないんじゃないか、円融天皇の代わりなんじゃないか、という気持ちもあったりしたのかな、と。それから、年齢的にもちょうど反抗期ぐらいの時期だとも思うので、その点も大切にしました」
話題となった一条天皇に向かって詮子が涙ながらに道長を推挙するシーン(第18回「岐路」)では、「心の中では、母ちゃんそんなことを言わないでくれ、みたいな気持ちだったのかな、と思います。お母さんに涙ながらにワーッと言われたらどうですか、という話ですよね。やっぱり母親には凛としているイメージがあったと思うんです。詮子は特に。そんな母上がそこまでしている姿を見る息子の気持ちは、現場に入ってからわかった部分です」
一条天皇の世界には定子しかいなかった
そして、回を追うごとに募っていった定子への思い。定子が娘を産み、職御曹司に入ってからは、ますます夢中になっていきます。その様子は、観ている側としても危うく、ハラハラするものがありました。
「最初のころ、みんなで雪遊びをしたり、分け隔てない関係性を目指したけれど、立場上であったり、いろんな思考が渦巻いている中でなかなか叶わなくなっていきます。一条天皇の世界がどんどん閉鎖されていくんですよね。閉鎖されればされるほど、一条天皇には定子しかいなくなる。そういう意味では一条天皇の心の支えは定子しかいなかったんじゃないかなと、とても感じます」
一条天皇が幼いころから、中宮としてそばにいた定子。最初は、一条天皇は甘えや幼さから、支え合うというところには至りませんでした。そんな一条天皇の振る舞いが、より定子を強い女性として浮彫にしていきます。
「高畑さんとは、一条天皇と定子の関係性がどうだとかいう話はそこまでしなかったです。『こうだったのかもね』『そうだねぇ』ぐらい。でも、そういうやりとりだけで十分というか。なんとなく感じていることは一緒だったと思います。
あと、一緒にいて定子は中関白家やききょうのことに比重を置いているような気がしたんです。それはそれで大事にしてほしいと思いながら、僕は一方的に想いをのせるような感覚でいました。たぶん、お互いに話をしてしまうと、純愛のほうに引っ張られすぎてしまうとも思っていたので」
そんな定子の死。定子が亡くなったとき、一条天皇は20歳だったと言います。定子の死への思いを尋ねると、塩野さんは「すごく言い表しにくい感情ではあるんですけど……」と熟考。
「平安の時代での、自分の愛した人たちの死に立ち会えないことの苦しさは計り知れないだろうな、と。帝ならとくに、ですよね。帝という立場を呪うじゃないですが、自分がこの檻から出れられないような、閉塞感を感じました。
きっとやり残したことだらけだと思うんです。前半のように雪遊びしたり、かくれんぼしたり、貝合わせしたり……もっとそういった時間を過ごしたかっただろうな、と。後半はもう会いにいくのがやっと、というような状況でしたから。帝で、聡明とは言え、まだ20歳。これから発達してくる考えや理性もあっただろうにと思います」
配信: 女子SPA!