幼い娘3人を殺害した29歳の母親は“異常者”か?法廷での発言にみる生きづらさとは|ルポライター・杉山春さんに聞く

幼い娘3人を殺害した29歳の母親は“異常者”か?法廷での発言にみる生きづらさとは|ルポライター・杉山春さんに聞く

 2024年6月11日名古屋地裁は、女児3人を殺害したとして殺人罪に問われた母親の遠矢姫華被告(29歳)に、懲役23年(求刑懲役25年)の判決を言い渡しました。

 法廷では、被告について裁判長が「責任能力は認められ、身勝手な犯行で強い非難は免れないが、相当に思い詰めて抑うつ状態だったことは疑いがなく、当時の被告にとって適切に対応することは難しかった」と語る場面もありました。


『ルポ 虐待:大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』 (朝日新書)などの著書を持ち、これまでに数々の虐待事件を取材してきたルポライターの杉山春さんによれば、わが子に手をかけるほどにまで思いつめた遠矢被告の状況は、過去に起きたケースの多くと関連性が見出せるといいます。

 令和4年のこども家庭庁による報告では、全国の児童相談所が虐待相談として対応した件数が過去最多。虐待に関する相談は平成以降増加の一途をたどっています。なぜ、こうした痛ましい事件が後を絶たないのか? 児童虐待を引き起こすメカニズムについて、杉山さんに聞きました。

「どれだけの異常者が…」と思う前に、目を向けるべき背景

 児童虐待の報道がされるたびに、ネット上で散見される「親が愛するわが子を痛めつけるなんて、考えられない」「どうして周囲は助けようとしなかったのか」といった意見。遠矢被告のケースについても、同様の声が多数上がっています。

「報道を耳にするだけでは、『どれだけの異常者がここまでの悪事に手を染めたのか』と、どこか自分とは関係のないような、非現実的な印象を受けますよね。しかし家庭という閉じられた場所で起きた虐待事件の場合、加害者個人の問題としてみるのではなく、私たちの生きる社会全体の構造に目を向けないと本質的な部分に触れることはできないと感じます」(以下、杉山氏)

 杉山さんは、ひとことに「加害者」「被害者」という言葉だけでは割り切れない、家庭内暴力の複雑さについて語ります。

「児童虐待の問題を捉える上では、家庭の中の権力関係を考えたり、家庭の外からの見えにくい力がどのようその親に影響したかという点に注目する必要があります。私がこれまで取材してきた虐待死事件では、当事者たちの立場は単純であるように見えますが、実態としては親が配偶者や周囲の者たちから暴力を受けたことが原因となっている場合も非常に多い。この場合の暴力とは物理的・身体的な力だけでなく、心理的な力も指しますが。つまり“加害者であり、被害者でもある”人がいる可能性があるのです」

 このケースに当てはまるのが、2018年に起こった目黒女児虐待事件。当時5歳だった結愛ちゃんをたび重なる虐待で殺害したとしてその両親が逮捕されたこの事件は、母親がその夫に配偶者間暴力を受け、逆らいにくい従属的な立場にあったとされています。

「この事件では家庭内で暴力の連鎖が起きており、妻が夫に自分の意見や考えを伝えて、状況を変えることができない、夫の考えに逆らえないといった、夫婦間にあるパワーバランスの不均衡が、結果として子どもに被害を及ぼしていました」

「助けを求めること」が難しい状況がある


 外から状況が把握しづらい家庭内暴力の実態。とはいえ、配偶者などから暴力を受けているとしても、当事者自身が声を上げたり助けを求めたりすれば、解決の糸口に繋がるように思えます。しかし、そうはいかない現実があるということに、杉山さんはさまざまな事件の加害者と対峙する中で気づいていったといいます。

「暴力とは、相手のよって立つ価値規範を変える力です。相手を自分の支配下に置きたい。コントロールをしたい。しかし、どれだけの暴力が家庭内で行われていようとも、その渦中にいるとき、当事者はそれを俯瞰して見ることが非常に難しい。そのため加害側もと被害側もそれを自覚していないパターンがとても多いです。

 先ほどお話したとおり、加害者・被害者の立場も複雑で状況により入れ替わることもある。客観的には加害をしていても『自分は悪くない』と心の底から思っていたり、ともすれば正義感から暴力を行っていたりもする。被害者自身も加害されていることを自覚しにくく、その場合いくら外野が『あなたは暴力を受けているんだよ』と伝えても、理解してもらえないのです」

 長年にわたり、児童虐待事件の取材を続けている杉山さん。しかし、それ以前に書いていた最初の著書『満州女塾』の執筆が児童虐待の構造を理解する上で役だったと言います。

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