45歳で初めての出産…あまりにも壮絶だった!「体力温存のために無痛分娩を選んだのに…」|YouTuber・あいり

45歳で初めての出産…あまりにも壮絶だった!「体力温存のために無痛分娩を選んだのに…」|YouTuber・あいり

 福袋の開封やコスメ紹介、育児に関する動画や、1分でフルメイクを仕上げる「1分メイク」などのショート動画が人気のYouTuberあいりさん。現在は47歳、2歳の男の子のママでもあります。


 45歳で第一子を出産したあいりさんは、5年間の不妊治療のなかで2度の流産を経験するなど、出産を迎えるまでには多くの不安があったといいます。出産までの道のりや、無痛分娩を選択した理由などについて聞きました。

つらいとき、支えてくれた義母の言葉


――妊娠期間を振り返って、どんなことが印象に残っていますか?

あいり:これまでに2回流産を経験していたので、妊娠中はすごく不安でした。そのうち1回は赤ちゃんが亡くなってしまった週数的に手術が必要だったので、出産するまで「ちゃんと育つかな」と心配していました。

つわりも結構大変で、私は吐くのがどうしても怖かったので、吐き気を紛らわせるためにサイダーを飲んだりフリスクなどスーッとするようなものをずっと食べていました。さらに普段とは食べたいと思うものが違っていて、なぜかコンビニのサラダ巻きばかり食べていた時期がありました(笑)。でも、「ちゃんと赤ちゃんが育っているんだな」と辛いつわりでさえも幸せを感じていました。

――不妊治療で苦労していたことは、あいりさんや旦那さんのご家族も知っていたのでしょうか。

あいり:両家の両親共に話していました。振り返ると義母は私にプレッシャーをかけないようにしてくれていたんだなと思います。流産をしたときも「みなまで言わなくていいよ」という感じで接してくれて、「あいりちゃんの体が元気ならそれでいいからね」と私のことをいつも気遣ってくれました。

夫が長男なので、「1人は産まなきゃいけない」と焦りのようなものがあったのですが、お義母さんは「本当に子どものことは気にしなくていいから」とずっと言ってくれていました。その点に関しては私の親も同じで、私が不妊治療で苦労しているのを知っていたので「そんなに頑張らなくていい」と言ってくれて、「孫の顔が見たい」といったことは一度も言われたことがなかったです。そのおかげで、プレッシャーを感じず自分の気持ちだけで不妊治療を進めることができたと思います。

出血、切迫早産、不安だらけの妊娠期間


――産院はどうやって選びましたか?

あいり:不妊治療でお世話になった病院の先生に、「君の場合は何かが起こる可能性が高いから、大学病院にしか紹介状は書きたくない」と言われてしまいました。出産を経験した友人から「出産後に豪華な食事を出してくれる病院」の話を聞いていたので、「食事が美味しいところがいいな」とか、いろいろと考えていたのですが、すぐに夢を断たれましたね(笑)。

でも、安定期に入ってすぐ入院することになったり、出産後すぐに赤ちゃんをNICUに入れなければならなかったりしたので、今となっては大学病院で出産して本当に良かったと思っています。

――なぜ入院することになったのですか?

あいり:妊娠7か月くらいのときに結構な出血があって、びっくりして病院に行ったら「切迫早産なので入院してください」と言われました。入院は約10日間ほどでしたが、生まれて初めての入院だったので「入院生活ってこんなに大変なんだ……」と思いました。

絶対安静なので、歩けない、動けない、それに、仕方のないことだとわかってはいるのですが、ご飯も“ザ・病院食”という感じで、ものすごく質素で……。そして入院中は常にお腹の張りを止めるための点滴をしていたのですが、なぜか私の腕は1か所しかうまく点滴の針が入らなくて、いろんなところに刺した結果、最終的に手の甲から点滴を入れていました。それが痛くてつらかったです。

――不安なときは、旦那さんに相談したりしましたか?

あいり:普段から、私の想いは夫の前で話しているので、妊娠期間中もサンドバッグのように私のモヤモヤを黙って聞いてくれていました(笑)。お腹の張りがあって料理ができないときは、出前やコンビニご飯などで甘えさせてもらっていました。そのあたりは、夫はすごく理解があったと思います。

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