両親は病気、兄は引きこもり。親戚を頼るのも限界に
――知恵を絞って貧乏生活を送りながらも、高校3年生のときに生活保護の受給が決まって“ホッとした”と描かれていました。90年代当時は、現在よりも生活保護に対する偏見が強くありましたが、制度を利用しない両親にもどかしさを感じていたのでしょうか。
五十嵐:そうですね。両親は昔からホームレスの方に批判的な意見を持っていたり、世間体を気にしていたりしたからか、なかなか踏ん切りがつかなかったのかもしれません。そうは言っても、父も母も病気のせいで生活に困難を抱えており、兄は両親との関係で心を病み引きこもりってしまっていて、私は普通の高校生。親戚にお金を借りるのも限界だったと思います。
子どもの私たちにとっては、身内に迷惑をかけている両親の姿を見るほうが、生活保護を受けるよりもつらかったです。なので「生活保護を申請に行く」と言ってくれたときは、心の底から安堵しましたね。私が無事に高校生活を送り、自分で選んだ道を進めたのも、生活保護のおかげです。
貧困でも制度を利用して、夢を諦めないでほしい
――高校卒業後は、区役所職員として4年働いた後、漫画家を目指して退職、とのことですが、家庭の事情を考えると新たな一歩を踏み出すのも勇気が必要だったかと。夢を諦めずに前に進めた理由とは?
五十嵐:漫画に寄せられた感想のなかにも「どうして安定した仕事を辞めてしまったのか」や「また困窮に戻ってしまうのでは」といった心配の声がありました。でも、私は小学生の頃から「漫画家になりたい」と宣言していて、区役所を辞めるときも身近な人から反対されず、むしろ応援してもらえたんです。
在職中に生活防衛資金として300万円を貯めて退職しましたが、そもそも貧困生活に慣れていて、収入が少ないときの税金の免除制度も知っていたので、思い切った行動に出られたのかもしれません。
もしも生活保護制度がなかったら、私は高校を中退せざるを得なかったかもしれないし、今とはまったく別の人生を歩んでいたと思います。私と同じような状況にある子どもたちには「夢を諦めないでいいんだよ」と伝えたいです。日本には、みなさんが思っているよりも人々に優しい仕組みや支援制度がたくさんあります。
せっかくこの国で生活しているのだから、ぜひ活用してほしいし、その選択を受け入れる社会になってほしいと願っています。
<取材・文/とみたまゆり>
【とみたまゆり】
週刊誌や漫画の書評などジャンルにこだわりなく執筆する中堅ライター。三毛猫が好き
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