42歳で乳がん発覚。“自分の体がモノのように”感じてツラかったこと「油性ペンで…」

42歳で乳がん発覚。“自分の体がモノのように”感じてツラかったこと「油性ペンで…」

ある塾長の言葉に、息子が「やる!」


 そんなノイローゼ状態のまま息子を塾の体験に連れまわしていたわたし。あのときのことを思い出すと、本当に申し訳なかったなと思います。

 あちこち回りつくしてもうここが最後だと思っていたときに「ここだ」と思える塾に出会いました。電話で問い合せると塾長が電話口に登場。いくつかわが家の現状を質問されました。

 すると「うちでお預かりすればお母さんは何もする必要はありません。大量の宿題も出しませんし全部塾で完結します。精神年齢に応じて小学生の伸びしろは変わりますので、良い学校に入れるという保証はできませんが、無理を強いて子どもを壊すこともしません」と言われてビックリ。他とまったく違いました。

 わたしは塾長の話を食い入るように聞き、「塾」とか「勉強」という言葉にウンザリしている息子を引きずってなんとか塾長との面談に連れて行きました。「もう塾なんて嫌だ!」という息子に塾長が声を掛けました。「君さぁ、トイレって一人で入るよね? お母さんにお尻拭いてもらう?」。息子はキョトンとして「さすがにそれはない」と一言。

 塾長は息子の返事に「でしょ? 勉強も同じで自分でやるものなんだよ。お母さんに言われてやるもんじゃないんだよ。うちの塾はみんな楽しいって来るけど、君が来たくないなら来なくていいよ。でももし自分でやってみたいと思うんだったら全力で手を貸すよ。俺は受験のプロだから。どうする? 最後は自分で決めろよ」とオトコマエな言葉を投げかけました。

 すると息子は「うーん……ちょっとやってみたい気がする」と小声で返したのです。塾長は「やってみたい、じゃなくてやる、って言わないとダメ!」とハッパをかけます。すると息子は「じゃあ……やる!」と宣言。この一言で入塾が決まりました。

塾長にがん乳がん治療中であると伝えると

 後から知りましたが、この塾長は人心掌握術にたけており、子どもにやる気を出させるなんて朝飯前。塾長とのやりとりも振り返ってみれば、少し突き放してプライドをくすぐるようなことを言われれば、家では甘えん坊の息子でも「やる」と言ってしまうよなぁと納得。子どもの視線に合わせて話すことができるんだなと感心しました。

 塾長はわたしに「息子さんは精神的に幼いです。精神年齢が低いと、時間感覚がなくて先の見通しが立たない。逆に精神年齢の高い子は先のことを予測して今やるべきことがわかるので、来年の受験のために勉強しようと思えるんです。でもそれは息子さんには無理なことで、小学生ならばらつきがあって仕方がないこと。でも息子さんのような幼い子なんてたくさんいますし見慣れています。ご安心ください。すべて面倒見ます」と言い切ってくれました。

 ボロボロになっていたわたしはこの言葉に思わず涙ぐんでしまいました。実は息子は小さいころからほかの子と違う部分も多かったのです。

 幼稚園の見学では小さい子の集団を怖がり、場所見知りもひどくて知らない場所には頑として行きたがらない。納得いかないことをやらされることも苦手。だからといって発達相談に行っても問題なし。わたしが見ていると同年代の子どもたちと明らかに何かが違うのですが、なんとか周りに合わせられてしまうため、はた目には「ただのおとなしい子」として埋もれてしまっていました。

 塾長の「同じような子をたくさん見ています」という発言は、小さいころから感じていた息子への不安まで解消してくれるような一言でした。「うちの子だけじゃないのだ」ということが分かっただけで、なんだか安心できたのです。

 塾長には、息子についての話に加え、わたしが乳がん治療をしていることも伝えました。自分の治療に必死で息子の勉強について考えることが遅れてしまい焦っていること、抗がん剤の影響かどうかははっきりしないけれど、とても悩んで混乱してしまっていたこと。きちんと話を聞いてくださり、事情をわかった上で「責任をもって預かります。お任せください」と言い切ってくれた塾長には本当に今でも感謝しています。

 息子が小さいころから積もりに積もっていた育児の悩みと、今現在の方向性が決まり、がん治療とともに、プライベートまで大混乱だった状況が、ひとつずつほぐれていくのを感じました。これが息を吹き返す大きなきっかけだったかもしれません。

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