42歳で乳がん発覚。“自分の体がモノのように”感じてツラかったこと「油性ペンで…」

42歳で乳がん発覚。“自分の体がモノのように”感じてツラかったこと「油性ペンで…」

乳がん発見から1年、ついに治療が終了


 年末に別の病院で放射線治療を終えた私は、年明けに元の病院に戻り、主治医の先生の診察を受けました。乳がん発見からまる1年が経っていました。主治医の先生は優しく「1年間よく頑張ったね。いろいろあって本当に大変だったと思うけれど、できることはすべてやったから、あとはあまり細かいことを考えずに過ごしていいと思いますよ」と言ってくれました。

 腫瘍を取り除き、転移したリンパのみならず、乳房周辺のリンパ節は転移の可能性があるためごっそり取り除きました。さらにそこに全身に散らばっているかもしれないがんの種を根絶やしにすべく抗がん剤を投薬し、仕上げに外から手術後の患部に放射線を当てて焼野原に。できることはすべてやった。本当にそうです。

 乳がんのタイプによっては5~10年服用するホルモン治療も私の乳がんタイプでは効かないとされているため、これで本当に治療は終了です。

 先生に言われるまで気づきませんでしたが、この1年間目先の治療をこなすべく、そのたびに不安になりながら、そしてプライベートでもぐちゃぐちゃしながら、必死で治療の日々を駆け抜けてきたのだなと実感しました。

やる気満々でスタートしたがん治療だったけど…


 治療をすべて終えた私は、この記録を自分で持っておきたいと「カルテ開示」をお願いすることにしました。今後そこまで詳細情報が必要に自分がどのように診断され、どんな手術をし、切り取った私のおっぱいはどんな診断をされたのか知っておきたいと思ったのです。

 開示されたカルテには、なんとわたしの切り取られたおっぱいの写真も載っていました。自分の身体から切り離されたおっぱいはなんとなく不気味でしたが、自分の胸についていたときの面影もあり、なんともいえない気持ちになりました。

 手術で取り除いた組織は、今後の研究のために使用しても構わないとサインをしたので、わたしのおっぱい細胞は、わたしの身体を離れて後世の研究にも活かされているのかもしれないと想像を膨らませました。

 乳がんが見つかった当初は「楽しんで治療を乗り切ってみせる!」などとやる気満々で開始した治療ですが、私にとってこの1年はなかなかに長く感じました。手術で体力が落ちたり、長丁場の抗がん剤などで気力も落ちていたのでしょう。治療中にあったさまざまなことも含め、当初に考えていたほどの元気さで完走することはできませんでした。

 それでもなんとか治療を終えることができたのは、主治医の先生の励まし、必要なメンタルケアにつないでくださった病院スタッフの方々、そして荒れるわたしをなんとか支えようとしてくれた家族、病院で出会い励ましあったがん友など、さまざまな人の協力があったからだと思います。

<文/塩辛いか乃 監修/沢岻美奈子(沢岻美奈子女性医療クリニック院長)>

【監修者:沢岻美奈子】

日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医。神戸にある沢岻美奈子女性医療クリニックの院長。子宮がん検診や乳がん検診、骨粗鬆症検診まで女性特有の病気の早期発見のための検診を数多く行なっている。更年期を中心にホルモンや漢方治療も行い女性のヘルスリテラシー向上のために実際の診察室の中での患者さんとのやりとりや女性医療の正しい内容をインスタグラムで毎週配信している

【塩辛いか乃】
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako

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