解像度を数値化する存在
『スカイキャッスル』第2話冒頭で、九条からの指導権を獲得したはずの浅見紗英(松下奈緒)が、前の指導家庭だった冴島家の崩壊の一因が、九条にあるのではないかと疑念を抱いてこう言う。
「まるで人間の血が通わない機械みたい」
確かに九条は鬼のサイボーグ講師である。役柄に合わせて小雪の立ち居振る舞いもサイボーグ感満載。裏を返せば、このセリフはあえて機械的な演技に徹する小雪への褒め言葉なのではないか?
小雪の演技は鋼のように無駄がないばかりか、本作に出演する他のどの俳優とも違って、変にアグレッシブになることを封印している。リアルにサイボーグになろうとしている方向性の先にはやっぱりあの役との類似が。第2話ラスト、計算外のハプニングで九条が左腕に切り傷を負うのは、『女王の教室』第7話で天海扮する阿久津真矢が右手を負傷する姿と似ているのだ。
視聴者は九条の存在を通じて、スカイキャッスルという錯綜した空間を俯瞰し、事の経緯を客観的に観察できる。ラビリンスのようなドラマ全体の構造上、展開が見えづらかったり、分かりづらい部分をきめ細かい解像度まで上げて見やすくしてくれるのが、小雪の役割である。
逆にいえば、本作の見え方は彼女次第でもある。そういえば、家庭用テレビとして当時高画質だったパナソニックのビエラCMに小雪が起用されていたことを思い出した。あらゆる事物を鮮明に写し出す画面内の小雪自体が、解像度を数値化する存在だったからだ。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
配信: 女子SPA!
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