「中南米の人たちをサポートしたい」 音楽雑誌の編集者から弁護士に転身した丸山由紀さんの「放浪人生」

「中南米の人たちをサポートしたい」 音楽雑誌の編集者から弁護士に転身した丸山由紀さんの「放浪人生」

音楽がきっかけで中南米にハマり、大学を休学してメキシコからコロンビアまで放浪。帰国後、編集者の道を歩んだが、法律を通じて、日本にいる中南米の人たちを手助けしたいと考えるようになった。

弁護士登録前の行政書士時代を含め、かれこれ20年以上にわたり、在留外国人の入国関連のサポートをしてきた丸山由紀弁護士だ。「法律の道に行くと焦点が定まるまでは、結構、行き当たりばったりの人生を送っていましたね」と笑いながら振り返る。

音楽雑誌の編集者時代の彼女を知る者にとって「行き当たりばったり」という言葉は、やや意外にも聞こえるが、そもそも法曹界へ転身する契機は何だったのか。そして外国人を取り巻く問題をどう見ているのか。(取材・文/塚田恭子)

●音楽きっかけに「中南米」の世界へ

「英語以外の外国語を学んでみたい。使い道が広そう」。そんな理由で東京外国語大のスペイン語を専攻。音楽をきっかけに中南米に興味を持ち、1年間の派遣社員で旅行資金を貯めると、休学してメキシコに渡った。

最初の半年間は、メキシコ国立自治大学に付属している語学学校でスペイン語を学び、その後の半年間は独りで中南米を南下した。

「ちょうどワールドミュージックが注目され出したころで、今思うと中南米の音楽が面白い時期だったんです」

帰国前に滞在したコロンビアは、とても音楽の豊かな国だったが、日本にまだ紹介されていないジャンルも多く、卒論のテーマとしてコロンビアの音楽を選択した。

このとき資料を借りた先輩から紹介されたのが、音楽雑誌の『ラティーナ』だった。

「ストレートに大学を卒業していれば、バブルの最後に引っ掛かっていたはずなのに、休学した2年間でバブルが崩壊してしまって(笑)。そんな状況で迎えた就職活動でしたが、外語大卒ということで、語学系の出版社に拾ってもらいました」

学校向けの英語教材を発行する出版社に就職した丸山さんは、教科書の編集の仕事をしつつ、スペイン語翻訳やディスクガイドの執筆をしていたこともあって、1995年に『ラティーナ』編集部に籍を移した。

●法律を通じて中南米の人たちをサポートしたい

しかし、編集者の仕事を続けるにつれて、丸山さんは「自分に向いていないのでは」と感じるようになったという。

「中南米の音楽に特化したマニアックな雑誌とはいえ、日本の音楽ファン向けに何を仕掛け、どう発信するか。編集者にはそういう発想が求められるのですが、自分には、中南米の人に関心はあっても、日本のファンに何かをアピールしたいという気持ちがあまりないと気づいたんです」

そのころ知り合ったのが、現在所属する法律事務所の弁護士で、当時ライターとしても『ラティーナ』に関わっていた山口元一さんだった。

「山口は当時から在留資格を主とした入管問題に関わっていて、依頼者にはペルー、ボリビア、コロンビアなど、ラテンアメリカ出身の人が多くいました。彼の話を聞いて、そういう仕事があると知って、自分も日本にいる中南米の人たちの役に立つ仕事ができたらと思ったんです」

自分にあった職人肌の仕事で、学生時代に長期滞在して馴染みのある中南米の人たちをサポートできる――。それが法律の仕事だった。

退職後、1年ほどで行政書士の資格を取得。現在も勤める事務所で、スタッフ兼行政書士として、中南米の人たちを中心に在留資格の手続きを手伝いながら、司法試験合格を目指した。

「仕事のある日はなかなか自習できないので、夜は予備校に通いましたが、勉強に集中するのは週末でした。ありがたかったのは、途中で、職場から『仕事は週4日で、残り3日間は勉強していいよ』と配慮してもらえたことです。

仕事があるのでとりあえず生活できて、最悪、試験に通らなくても、行政書士として身の処し方はある。こうした安心感のおかげで、私の場合、精神的なプレッシャーは少なかったと思います」

司法試験に挑戦している間に法科大学院制度が始まり、2006年に明治大法科大学院に通い出したところで、旧司法試験に合格。ロースクールは中退して、2008年に弁護士登録した。以後、一般民事や顧問会社の仕事と並行して、在留資格に関する業務も続けている。

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