①「朝ドラの王道」を行っているのに気づかせない、ある“大発明”
各所で「画期的朝ドラ」と絶賛される本作だが、脚本家の吉田恵里香氏は大の「朝ドラ好き」だそうで、実は王道の「朝ドラあるある」の要素もきちんと入れている。というかむしろ、ベースは非常に“オーソドックスな朝ドラ”でありながら、そこに仕掛けた「装置」が画期的なのだ。
まず、主人公の人物造形。寅子はすぐブチギレて大声を出したり、汚い言葉で他者を罵ったり、何かと暴力的な行動に走り、他者の領域にズカズカ踏み込んで支配しようとし、人一倍権力志向が強く、「名誉紳士」的で、かなり「アクの強い」キャラ付けがなされている。
しかし、その基盤にあるのは「猪突猛進でおせっかい」という、王道の「朝ドラヒロイン像」だ。朝ドラファンにはなじみのあるこの「あるある」をしっかりと踏襲しているので、寅子の一見奇異に見える言動も全て「愛あるおせっかいゆえ」で済まされ……もとい、そこに集約される。
また作劇面での、整合性やクオリティへのセルフチェックの“寛大さ”は『ちむどんどん』(2022年前期)に近いものがある。主人公の有能さや才覚をほとんど見せないまま周囲から盲目的に「すごい!」「さすが!」と崇められる世界観や、努力や葛藤などの過程を見せずに「仕事の成功」という結果だけをもたらすあたりは『とと姉ちゃん』(2016年前期)、『なつぞら』(2019年前期)、『エール』(2020年前期)などを彷彿とさせる。
長年の朝ドラファンに向けて、こうした“定番”を仕込んでありつつも、驚かされるのは、このドラマの作り手が発明した「意識高いパウダー」だ。主人公が不遜すぎても、どんなに作劇が荒削りであっても、掲げているテーマが“尊い”、すなわち「意識高いパウダー」がふりかけてあるので、本作はかなりいろんなことが大目に見られている印象がある。このシステムの構築こそが画期的な大発明と言えよう。
②あの「大御所脚本家」との共通点と、凌駕しようとする勢いが画期的
ところで、本作の脚本をつとめる吉田恵里香氏は、各所で「尊敬する脚本家」として野木亜紀子氏や渡辺あや氏の名前を挙げている。しかし、ロジカルな作劇で社会問題に鋭く斬り込む野木氏や、人間の深淵を見通したかのように玄奥なドラマツルギーで知られる渡辺氏と、吉田氏とでは、作劇論において真逆と言うよりほかない。どちらかと言えば吉田氏は、野木氏でも渡辺氏でもなく、かの「恋愛の神様」北川悦吏子御大の流派に属するのではないだろうか。
北川御大の執筆による朝ドラ『半分、青い。』(2018年前期)と、吉田氏による『虎に翼』の共通性といえば、
⚫︎脚本家が登場人物を「依代」にする作劇
⚫︎人物に応じた「扱いの重軽」の妙
⚫︎「敵認定」した者は徹底的に蔑む
⚫︎「やられたら倍返し」の精神
⚫︎あらゆる他者へのリスペクトの“軽やかさ”
⚫︎「ロジックよりもフィーリング」の作劇
⚫︎「ポエム」と「暴力的ワード」が混在
⚫︎いつまでも“子ども心”を忘れない
⚫︎言葉の誤用や不適切な表現がないかをチェックする「NHKの校正・校閲機能」を特例的に麻痺させる脚本の“力”
……と、主立った事項だけでも枚挙にいとまがない。かたやトレンディドラマの“老舗”脚本家、かたや「意識高い」題材を扱う新進気鋭の脚本家。取り扱う題材はそれぞれ異なれど、作劇の手法において非常に共通点が多いというのが興味深い。
中でも特筆すべきはやはり「ドラマ/SNS/副読本の画期的なメディアミックス」だろう。まるで、先駆者・北川悦吏子御大の影法師をなぞるように、吉田恵里香氏も同じような行動をとっている。
BlueskyとXで毎週「この部分の台詞がカットされた」という投稿と、それを網羅するシナリオ集の熱心な宣伝をセットで行う。批判的な視聴者に向けてやんわりと「嫌なら見るな」とお告げになる。解釈を間違えた「愚かな視聴者」に向けて、ご親切に「正解」を発表してくださるところまで北川御大と同じだ。
しかし驚くべきは、吉田氏が、キャリアも年齢もかなり上回る北川御大に輪をかけて、“高姿勢”であるということだ。北川御大は、ドラマの描写不足を訴える視聴者に対して《やさしく脳内補完を、お願いします》と、ひとまずは「お願い口調」だった。対して吉田氏は、高いところから視聴者を「お裁き」になるのだから、あっぱれだ。
吉田氏は自身のSNSへの投稿の転載を固く禁じておられるので、文章の引用はできないが、BlueskyとXでの発言を要約すれば、『虎に翼』について吉田氏が望む解釈をしなかった視聴者は、想像力や読解力に欠け、ひいては差別主義者ということらしい。たいした剛気である。
配信: サイゾーウーマン