かっぱ伝説の寺、満徳寺
二名駅から15分ほど歩くと、「満徳寺」が見えてきました。
満徳寺は真宗大谷派の寺院。
当時の和尚さんに捕えられたかっぱが、麦臼に縛り付けられたという、かっぱ伝説の現場です。
妖怪かっぱを恐れず、お寺まで連れ帰ってお仕置きしてしまうのですから、なかなかの豪傑和尚さんだったようです。
満徳寺には60年ほど前まではご住職さんがいらっしゃったそうで、今も地元の方たちによって大切に管理されています。
地元の方は少年時代に、この広場でソフトボールをして遊んだそうです。
目を閉じると……子どもたちの歓声が。
奥の森では「シイノミ」を採ったそうで、炒って食べたらとても美味しかったんだとか。
満徳寺は、地元の皆さんの楽しい思い出がいっぱいの、大切な場所でもあるのですね。
満徳寺のすぐ側には、大きな「満徳寺池」があります。
いかにも「かっぱ」が潜んでいそうな雰囲気ですが、「麦臼淵のかっぱ」にあった「元宗の三間川が突き当たって曲がる所」とは異なるので、ここは「麦臼渕」ではないようです。
満徳寺池は今でも、元宗地区の農業用水として利用されているそうです。
「ブオー!ブオー!」と、だんだん大きくなるウシガエルの大合唱……。
ここにすむトンボなら、「麦臼渕」を知っているでしょうか。
古い地図をたよりに、麦臼渕を探す!
こちらは今回の重要資料の一つ、明治期に記された「和紙公図 元宗村」です。
左にある溜池(満徳寺池)の北東にある、紫色で塗られた場所が現在地「満徳寺」です。
前述の「麦臼渕のかっぱ」伝説と照らし合わせると、かっぱの逃走経路らしきルートが見えてきました。
麦臼を縛り付けられたまま、かっぱが逃げ出したルートの先に「麦臼渕」が?!
現在の元宗地区の位置図。
地元の方のお話によると、残念ながら、地域のご年配の方でも「麦臼渕」の正確な場所をご存じの方はもういらっしゃらないそうですが、この満徳寺から「かっぱの逃走経路」を辿ってみれば「麦臼渕」に行き着くことができるかも知れません!
かっぱは麦臼を縛り付けられたまま、この小道を通って逃走した可能性があります。
「あっ!」 すぐさま地元の方が、なにやら発見しました。
スイカの皮です。
まだ新しい……!
かっぱが食べた残骸でしょうか。
池の周りには、綺麗にかじられたトウモロコシまで!
これもかっぱの仕業でしょうか?!
かっぱと麦臼渕の痕跡を求め……予讃線の踏切を渡って、さらに進みます。
地元の方のご案内で、元宗地区を東西に流れる三間川にかかる「三間川橋」のたもとにやってきました。
川向こうは隣の地区になるそうです。
三間川橋自体は、平成24年に完成した比較的新しい橋です。
ここで、前述の「和紙公図」と現地を照らし合わせてみます。
「このへんが麦臼渕じゃないかな……」と地元の方。
この辺りは少し深くなっていて、地元の方が子どもの頃に泳いで遊んだ場所だとか。
川の形は昭和40年代頃からあまり変わってないそうですが、「への字」に曲がっている地点でもあり、「麦臼渕のかっぱ」にあった「三間川には、所々深い渕があるが、元宗の三間川が突き当たって曲がる所には、特に深い渕縁になって……」という記述とも一致します。
でもここで「かっぱに引き摺り込まれる」なんて言い伝えは聞いたことがなく、「麦臼」にちなんだような地名も残っていないそう。
ただ、昔の人からは「危ないから、暗くなったらあそこへは行くな」というお話は聞いたことがあるそうです。
「ほらごらん、かっぱなんていないよ」と言わんばかりに、穏やかに流れる三間川。
「麦臼渕のかっぱ」には、「数台のポンプを招集して、旧麦臼渕の水換えをしてみたが、どうしても水をくみきることができなかった」という記述もありました。
和尚さんのお仕置きに観念した、かっぱの涙だったのでしょうか。
麦臼渕にくらす「かっぱ」への思いを胸に、好物「きゅうり」を捧げてみることにしました。
ほらほら!
地元の方が育てた特大きゅうりだよ!!
ピーヒョロヒョロヒョロー……トンビが笑っています。
配信: イマナニ