つるつるすべる廊下というシチュエーション
段取りというより、お膳立てといった方が正確かな。寅子は戦病死した夫・佐田優三(仲野太賀)以外の相手を愛してはいけないと思っている。この切実な気持ちに対して航一も切実にアプローチするしかない。
判事の執務室。「すべてに蓋をして生きてきました」と語る航一は、「でもあなたといると、つい蓋が外れてしまう」と寅子に伝える。寅子のほうだって、航一に「胸が高鳴る」し、会いたいと思っている。すでに二人は強く結び付いているわけだが、もっと踏み込むためのきっかけはどう作ったらいいのか?
キスシーンとは、いつでも偶発的な出来事として描かれる。変に予定調和であってはいけない。ならば、執務室からの帰り、咄嗟にどちらかを思いきり廊下で転ばせたらいい。それくらいの突拍子のなさをきっかにしてこそ、二人の物理的距離はぐっと近づくはず。
このつるつるすべる廊下というシチュエーションを設定することで、お膳立ては完璧である。航一はこの廊下をどてんとかなり大胆にスッ転ぶ。寅子が手を貸し、そのままお互いの手を握り合う。十分近付いた。射程距離内。さぁ、航一、行けぇ(!)。
少し気恥ずかしそうにそれぞれ下を見ながらも、一応向き合う姿勢になっている。一度手を離してから抱き合う。ツーショットになると身長差が強調される。ここはひとまず航一がリード。膝をきゅっきゅっと曲げて高さを調節する。寅子の唇に狙いを定めようとするが、彼女は笑いをこらえている。唇と唇が重なる。あぁ、これでやっと距離がゼロ。
笑ってしまうくらいぎこちない動きと運びだが、寅子がぶぶっと吹き出し、航一も微笑む。唐突なつるつる廊下作戦とはいえ、何をふざけてるんだ。
でも寅子と航一が折り合いをつけた「永遠を誓わない、だらしがない愛」の視覚的な表明としては、ほほえましく及第点といったところだろうか。
GHQの指導による日本映画初のキスシーン
ところで、この二人のキスは、「接吻」と日本風に表現したほうがいいのかしら。キスとカタカナ英語でいうのはシャレ過ぎてる気もするというか、何せ「世界初の接吻の試み」みたいなぎこちなさだったのだから。
21世紀の令和を生きるぼくらからしたら、20世紀の戦後すぐを生き抜く男女の関係性が古風に写るのは当然である。だからやっぱり接吻かなと思うのだが、ここで戦後の日本映画でのキスシーンを思い出してみる。
日本映画最初のキスシーンが描かれたのは、佐々木康監督の『はたちの青春』(1946年)だ。佐々木監督は戦後の日本を間接統治したGHQによる検閲をくぐり抜けた第1号映画にして、並木路子の「リンゴの唄」が大ヒットした『そよかぜ』(1945年)の監督でもあるのだが、『はたちの青春』でキスシーンを含めることは、GHQによるアメリカ式の啓蒙的な指導によるものだった。
配信: 女子SPA!