津田梅子が肖像となった5000円札(2024年7月撮影、時事)
【写真】“神功皇后”紙幣のデザインが気になる! 惜しくも“肖像として選ばれなかった”女性の紙幣も!
2024年7月3日、1万円札、5000円札、1000円札の3券種が改刷されました。新紙幣の肖像に選ばれたのは、1万円札が渋沢栄一、5000円札が津田梅子、1000円札が北里柴三郎です。
財務省は、紙幣に描かれる人物を選ぶ近年における基準として、「偽造防止の観点から精密な写真の入手が可能」「肖像彫刻の観点から品格のある紙幣にふさわしい」「肖像の人物が国民の多くに知られており、その業績が広く認められている」ことの3つを挙げています。
これまで日本の紙幣には、新紙幣の3人を含め20人となりましたが、女性で肖像に選ばれたのは津田を含む、樋口一葉、神功(じんぐう)皇后の3人のみです。そこで、3人の女性の活躍や日本に与えた影響を探ってみました。
肖像入り紙幣の最初が神功皇后
国立印刷局の公式サイトによると、1881(明治14)年に発行された初めての肖像入り「改造紙幣」の肖像に選ばれたのが神功皇后でした。神功皇后は、日本の第14代天皇・仲哀(ちゅうあい)天皇の正妻で、伝承上の人物ともいわれています。
「日本書紀」や「古事記」などでは、彼女について朝鮮半島から紙幣の貢納を受けたとつづられています。神功皇后がきっかけで、日本に紙幣が広まったことから、彼女が紙幣の肖像に選ばれたということです。
また、神功皇后はたくましく、行動力のある女性としていわれています。天照大神と住吉の三神が皇后にのりうつり、九州遠征中の仲哀天皇に託宣を下しました。しかし、仲哀天皇はこの言葉を信じず急死。皇后が、夫の遺志を継ぎ、熊襲を征伐しました。その後、妊娠中の身で朝鮮半島の新羅を討ったとされています。
帰国後、応神天皇を出産。さらに、大和に帰還し、かご坂(かごさか)・忍熊(おしくま)2王の反乱を鎮定し、応神が即位するまでの69年にわたって政治を執り行ったとされています。日本において政(まつりごと)は男の領域という見方が長くありましたが、古代神話には女性が政を執り行っていたという記述がありました。
神宮皇后が約1800年前に建設したといわれているのが、藤森神社(京都府伏見区)です。同神社は、菖蒲の節句の発祥の神社として、親しまれています。
貧しさに屈せず、職業作家としてひたむきに生きた樋口一葉
日本銀行券で、初の女性肖像として選ばれたのが、小説家・樋口一葉(1872~1896年)でした。2004(平成16)年の改刷で5000円札に採用された一葉の代表作として、「たけくらべ」「大つごもり」(ともに文學界)、「にごりえ」(文藝倶楽部)などが挙げられます。
一葉は17歳の時に父を亡くし、家族を背負います。母や姉を養うために職業作家を志し、24年の人生で、数々のすばらしい作品を世に残しました。彼女が生きた時代は、女性が学問を修めたり、職業作家という道を選択したりすることが社会的に認められにくい風潮でした。一葉の母も当時の例に漏れず、女性に学校教育は不要と考えていたといわれています。
一葉の作品には社会から虐げられた女性が登場する話もあります。例えば、「大つごもり」の主人公・お峰は病のおじを助けるため、奉公先からお金を盗みます。本作には社会の不平等がリアルに描かれていて、お峰の境遇に心を痛める人もいると思います。また、いつの時代にも薄情な人が存在し、彼らに心踏みにじられる弱き人たちがいることも本作を通して改めて感じます。
100年以上前に書かれた一葉の作品に共感したり、力強く生きる登場人物に生きる勇気をもらう読者は多いと思います。
配信: オトナンサー