平成5年、「かなり異なる」雅子さまの女官選びとは?
堀江 しかし、そういう女官たちに苦労させられた美智子さまだからこそ、雅子さまが皇太子妃として皇室に入られた平成5年、女官長や女官の任命は従来とはかなり異なる路線での人選がなされたといわれています。女官長は、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)の学習院時代のフランス語教師で、山岳部の部長でもあった高木進さんの未亡人の高木みどりさんが選ばれました。
――天皇陛下の学生時代からのご趣味のひとつが、登山なのは有名なお話ですよね!
堀江 はい。高木みどりさんは、美智子さまとも25年以上の交流があった方です。高木さんは雅子さまのことも、まるでわが娘のようにお世話なさったそうです。また、雅子さまの外国訪問などにも尽きそっておられました。もう一人の女官が、福祉――とくに適応障害の専門家だった中町美佐子さんという方ですね。雅子さまのカウンセラーとしての役割を期待されていたと考えられるのです。
――それは雅子さまが適応障害と診断される以前の話ですよね?
堀江 そうなのです。雅子さまの異変を早期に察知し、医療につなげることができたのではないでしょうか。しかし逆にいうと、それでも雅子さまの体調が長期間にわたって悪化したままだったということは、皇族のお妃とは本当に難しいお立場でプレッシャーも凄まじいのだろうというしかないのですよね。
ちなみに、先日勇退なさった岡山いちさんが女官になったのは平成6年のことです。同時に女官となった箱島明美さんが、雅子さまの出身校・田園調布雙葉の系列校の四谷雙葉出身者だったり、その後、平成16年に愛子内親王の養育係に任命されたのも田園調布雙葉学園の福迫美樹子さんだったことにくらべると、共通性のない岡山いちさんに大きな注目が集まることはなかったかもしれません。
しかし、特別職の公務員には「守秘義務」がありますし、なにより信頼できるお人柄の方だったのでしょうね。
――ひとくちに「女官」といっても、ここ数十年ほどの間だけでも、採用のねらいが大きく変化しているのには驚きました。
続きは8月24日公開です。
配信: サイゾーウーマン
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