2010年頃「ぽいぽいぽぴー」というフレーズで一世を風靡した、あやまんJAPAN。表舞台から消えたかのように見えていましたが、現在もイベント会社として活動中。そしてチームのリーダーであるあやまん監督は、昨年2月に男児を出産しました。
30代で突然芽生えた子供がほしい願望と、恋愛とは程遠かった私生活での苦しさ、40代で味わった妊活の苦労など、ひとりの女性としての葛藤を伺いました。
30代で突然「子どもがほしい」周りを見て落ち込む毎日
――結婚、出産をいつごろから考えるようになったのでしょうか?
あやまん監督(以下、監督):高校卒業後、群馬から上京し毎夜のように試合(※合コンのこと)をしていた20代は彼氏もいなかったし結婚願望もなかったんです。10代で付き合ってた彼氏と別れてからは10年間、彼氏がいませんでしたし。でもテレビに出ていた35歳くらいから、突然“いつか結婚して子供がほしい”という思いが芽生えたんですよね。
――なぜ、願望が芽生えたんでしょう?
監督:なんでしょう。遊びたいという欲が20代で完全に満たされたんでしょうね。30代に入ると地元の友達は結婚して出産してる人が多いですし、特に30代中盤でさくらだ(ファンタジスタさくらだ)が結婚と妊娠でメンバーを脱退した時は、喜んで送り出す気持ちがある反面、言いようのない焦りと煮詰まり感がありました。でも会社設立したりと仕事は頑張らなきゃいけないしで毎日しんどかったですね。
街を歩けばお子さん連れの家族とかカップルを見かけて、「それに比べて私は…」と落ち込んでいました。気持ちは沈みながらも、毎日やらなきゃいけないことを必死にこなしていく日々でした。
――そんな中で、今の旦那さんと出会ったのですね。
監督:39歳の時、仕事で知り合いました。これまで私が六本木界隈で戦ってきた魑魅魍魎のようなパリピ男ではなく、テレビの制作関係のお仕事をしている会社員で。彼とは交際1年ほどで同棲生活が始まったんです。
――付き合っていくなか、監督の「子供がほしい」という願望も話したのでしょうか。
監督::いえ、実は旦那さんは12歳年下なんです。そんな年上女性から「子供がほしい」と言われたら怖いだろうし重たいだろう思い、言えずに2年ほど過ごしました。それで不妊治療の助成金適応の条件が「43歳までに治療を始めること」ということを知り、言うなら今しかないと。
「そろそろ時間が迫っているのだけれど…子供は出来ればほしい?」と聞きました。彼は私を尊重してくれる人なので「チャンスがあるならやってみよう」と不妊治療にも理解を示し協力してくれました。
42歳で不妊治療を開始。保険適用外で200万以上も
――その後、すぐに不妊治療を開始したのですか?
監督:妊娠の前にまず子宮と卵巣の検査をしました。すると仮に妊娠した時に胎児の成長に影響が出るくらい大きい筋腫が19個もあり、その筋腫の摘出手術をすることに。その術後の痛みが凄まじく、もう二度と体験したくないくらいです。その後、ようやく不妊治療を始めました。
――数ある治療の中でどんな方法を試したのでしょう。
監督:私は始めたのが42歳だったので、先生から「時間がないからできる限りの治療をしましょう」と言われました。タイミング法や体外受精などは行わず、最初から顕微受精を行い、同時に着床率を上げるための特別な検査もプラスして。すべて保険適用外で200~300万円ほどかかりましたが、結果的にそれで授かれたのでよかったです。
――治療を始めてみていかがでしたか?
監督:ホルモン剤を毎日、自分でお尻に注射するのが怖かったです。打つ時間が決まっているから、時には営業先の控え室や出先で打っていました。出先でお尻出して注射するのはなかなか勇気がいりますよね。家で打たなければいけない時は、旦那さんに「集中できないからあっち行って!」と言ったりして。
私は仕事のスケジュールを自分で管理できるから、毎日の通院や急な来院も対応できましたが、フルタイムで働いている方などは難しいのではと思う治療スケジュールでした。出生率をあげるためにも、妊娠を望む方の願いを叶えるためにも、育休だけではなく、不妊治療に対する休暇や半休など、職場の理解が深まると良いですよね。
配信: 女子SPA!