2024年9/21開館! きっと、ここへ来れば奈良山等妙寺史跡公園に行ってみたくなる
愛媛県にある、全国で唯一“鬼”の文字がつく自治体「鬼北町」。
2つの道の駅には鬼のモニュメント「鬼王丸」と「柚鬼媛」がいて、JR予土線では鬼がテーマのラッピング「鬼列車」が走り、鬼北町観光PRキャラクターは「きほくん」、まちなかにも鬼のウォールアートなど、どこを見ても鬼・鬼・鬼!!
どうしてこんなにも“鬼”が多いのか。
それは、古くから伝わる「鬼王」の伝説と山寺「奈良山等妙寺」に繋がります。
そしてこの度、鬼北町のルーツに関わる文化遺産であり、長年調査が行われていた国指定史跡等妙寺旧境内が2024年9月21日(土)に奈良山等妙寺史跡公園としてオープン!
ガイダンス施設となる【奈良山等妙寺歴史交流館】が新設されたので、施設の様子とともに、同日(9月21日)に開催予定のオープニングイベントについてもお届けしていきます。
鬼北町に伝わる“鬼王”の伝説って!?
みなさんは、“鬼”にどんなイメージを持っていますか?
現代ではまず、妖怪や悪霊、悪役としてコワ~イ姿の方が思い浮かぶかもしれませんね。
しかし、仏教の世界では鬼は“仏が姿を変えた化身”でもあります。
古来より日本人は、あらゆるものに神や精霊が宿ると信じ、人の理解を超えた存在を自然に受け入れていました。
そのため、鬼は“山や土地を守る神々”を指すこともあるそうですよ。
さて、鬼北町の“鬼”の由来ですが、現在の宇和島市にそびえる「鬼ヶ城山系」の北側に位置する地域というだけでなく、この山の神としての「おに」の信仰が深く関係しています。
仇討ちで有名な鎌倉時代の武士・曽我兄弟の家来であったといわれる「鬼王 段三郎(おにおう だんざぶろう)」。
その鬼王が大岩を引き寄せて作ったのが「鬼ヶ城」(現在の松野町に位置する古鬼ヶ城山)と言われていたり、鬼ヶ城山系の山中にある「タモト岩」と呼ばれる大岩は、鬼王の袂(たもと)から落ちたものだと言われていたり、松野町の滑床渓谷にある「鼓岩」と呼ばれる大岩は、鬼王や曽我兄弟が力試しで動かしていたなど、鬼王にまつわる伝説がいろいろ…。
そして、鬼北町の山岳信仰の中心となった天台宗のお寺・等妙寺(とうみょうじ)。
天台宗の僧・理玉和尚(りぎょくかしょう)によって鎌倉時代の終わりころに開かれました。
ですが、約260年後の天正16年(1588年)、火災により焼失してしまいます。
かつての等妙寺(旧境内)は山岳信仰と密接に結びつき、山深いところに建立されていましたが焼失から2年後、約1㎞麓に再建されました。
かつての等妙寺があった場所。
それがどのように決められたのか、こちらの伝説を見ていきましょう。
当時、理玉が等妙寺の建立場所を探して、伊予(愛媛)と土佐(高知)の国境にある霊場「奈良山」山中で修行をしていた時でした。
目の前に鬼王が当然現れて、大岩を軽々と投げ飛ばし、“落ちたところに寺を建てよ”と伝えたそうです。
岩が落ちた場所を探すと、山深い山中にありながら理想通りの建立に適した場所が開けていました。
詳しくは、等妙寺の創建伝説が記されている「等妙寺縁起」に残っているのですが、曽我兄弟と理玉の関わりや、その他の伝説については、ぜひ【奈良山等妙寺歴史交流館】で深堀りしてみてくださいね♪
配信: イマナニ