「羊水検査で障害児だとわかって中絶した」と話す友人に怒りが湧いてしまったワケ

「羊水検査で障害児だとわかって中絶した」と話す友人に怒りが湧いてしまったワケ

久しぶりにあった友人の顔を見られなかった理由


 久しぶりに会ったUはお腹を大きくしていた。私が第一声「おめでとう!」と言うと、Uは照れくさそうに「ありがとう」と言ってくれた。三々五々、誰かが集まるたびにUは「最近全然集まれなくてごめんね」と詫びていた。

 私はそんなに定期的に集まっていたのかと驚き、更に1年位集まりに顔を出さなかっただけで謝罪するUに改めて社交性の高さを感じ、やっぱりUはUだな、すごいな、なんて思っていた。そして顔を出さなかった理由を述べようとする彼女に、誰でも色々あるしたった1年なのに!と彼女の律儀さにも驚き尊敬していた。理由を聞くまでは。

 彼女は不妊治療をしており、あまり上手くいかない日々が続いていたが、ようやく授かった子が障害児だと羊水検査で分かった。それで中絶をしたが、自分は障害児しか授かれないのかと落ち込み、誰とも会う気分ではなかった。

 しかしこのたび、健常者であろう子を授かることが出来て、安定期にも入ったので、皆にその報告も兼ねて久々に集まったのだ。

 Uが上記の内容をたっぷり1時間以上かけて喋っている間、私は彼女の顔を見ることが出来なかった。自分でも大人気ないと思う。

 Uのような思想を持つ者が少なくないのは知っているし、だからこそ羊水検査というものが存在するのだし、Uは何も悪いことをしたわけじゃない。法律で保障されている権利を行使しただけだ。

 私も不妊治療経験者なのであのゴールの見えないつらさは知っている。それに障害児を育てるには大変な苦労と金銭が伴うことも、周りに障害児の母が多い私は理解しているつもりだ。

 けれど、周りにそのような者が多いということは、Uとは違う決断をした者が多いということである。Uの言葉を借りれば「人生最大の悲劇」をしかと引き受けた者が。

 集まっていた女性たちは私よりもずっと大人で、彼女の話が何を意味するかを理解しつつも、彼女に「今は元気そうで良かった」とか「赤ちゃん楽しみだね」とか、ちゃんと相応しい言葉をかけていた。

 皆、私に障害があることも知っていた。私とUの双方に配慮しつつも団らんを続ける周囲に申し訳なくなりながら、私はぼんやりと「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」と啄木の詩を思い出しているだけだった。

思わず抱いてしまった「醜い感情」

 Uは数年前に伴侶と購入した新築マンションの一階に保育所があるが同じような年代の夫婦が多いためそのマンションはベビーラッシュで希望の保育所に入れるかどうか不安だという話や、中絶をした後に夫婦で犬を飼ったが躾をする前にお腹の子を授かったので慌ててドッグトレーナーを呼んだ話などをしていた。もちろん、その犬はペットショップで購入されていた。

 和気藹々と女性同士の話が進む中、私は怒りが静かに込み上げてくるのを抑えるのに必死だった。Uがペットショップで一番可愛く育てやすそうな犬を選んだという話を聞きながら子もそのように選んだのかと思い、湾岸沿いの蜂の巣のようなマンションからUのような思想を持つ子どもたちが大量に羽ばたいていくのかと思い、自分勝手な妄想に自分で腹を立てていた。

 そしてこう思ったのだ。「障害児を産めばよかったのに」。私は確かにそう思った。一瞬のことで打ち消そうとしたけれど、私はこの醜い感情を持った自分に慄き、その瞬間を忘れることは不可能だった。私はそう、確かに思ったのだ。こっち側にきてみろ、と。

 私は幼い頃から障害者を差別する人間に嫌悪感を持っている。その頃は自分が障害者であるなんて思ってもおらず、ひとえに母親の教育に依るものだった。マルクス主義者の母は、人間は平等であるべきで、そのためにあなたはいつでも弱い者の味方をしなさい、と私に教えた。そして強い者と闘いなさい、と。ベルリンの壁が崩壊しても母の教育は変わらなかった。

 小学生のとき、聾(ろう)(聴覚に障害のあること)の児童がクラスにいた。その子と私は家族ぐるみで仲良くしており、よく家を行き来もしていた。

 ある休み時間に教室で自席に座っていたその子が、後ろの席に座る児童から頭を足で小突かれていたことがある。小突いていた児童は学年一体躯の良いサッカーのリトルリーグに所属するお坊ちゃんで、お金持ちの一人息子である彼がワガママ放題なことは学校中の者が知っていた。

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