有村架純、“やせガマンの美学”を体現した別れ。目黒蓮がよけいに悲劇的に見えた変化とは?/『海のはじまり』

有村架純、“やせガマンの美学”を体現した別れ。目黒蓮がよけいに悲劇的に見えた変化とは?/『海のはじまり』

弥生と水季の皮肉なつながり

弥生は悩んだすえ水季の手紙を読んで、心を決める。


「誰も傷つけない選択なんてきっとありません。だからといって自分が犠牲になるのが正解とも限りません。他人にやさしくなりすぎずものわかりのいい人間を演じず、ちょっとずるをしてでも自分で決めてください。どちらを選択してもそれはあなたの幸せのためです」

この文面、水季が「ちょっとずるをしてでも」自分の幸せのためにやさしいふりして弥生に別れを決意させたとも見えるし、いまの無理している若い人たちへのメッセージのようにも見える。

皮肉なのは、水季が中絶をやめて、海を産み海ファーストで生きることを選ぶ背中を押したのが、弥生は産婦人科のノートに書いたメッセージだったことである。弥生のメッセージで海が生まれ、水季のメッセージで弥生は海の母になることをやめる。因縁(いんねん)を感じさせる繋がりがやっぱりややホラーっぽさを醸(かも)す。悪く考えれば、水季が弥生に海と別れる呪いをかけたみたいにも思えないことはない。

有村架純の別れぎわの演技は最強である

弥生は、最後を覚悟して、夏の部屋を訪問。その日は雨。はじめて会った夏の日は雨があがって蒸し暑い日だった。

海にあげるものを夏に手渡しながら、いろいろ話す弥生。終わりのときはもう間近。高野舞(はしごだが)演出は俳優に劇的なアクションをさせることなく淡々とした会話のなかの感情の流れを丁寧にじっくり追っていく。


感極まった弥生は海にあげようと買ったイルカのぬいぐるみで涙を拭(ぬぐ)う。海に弥生の涙が染みたぬいぐるみが手渡されると思うと、これもまた怨念ぽい。

「海ちゃんのお母さんにはならない」という弥生。

「海ちゃんを選ぶ」という夏。

部屋を出たら終わり。「ふたりでドアを閉めて~♪」と古い歌を思い出してしまったが、夏は駅まで弥生を送り、終電過ぎるまで駅(経堂)のベンチでおしゃべり。部屋を出てからずっと手を握ったまま。

このときの弥生は「すんっ」としていない。じつにナチュラルなしゃべりかたで、テンポが早く、声もやや低く、語尾に力が入っていない。これだよこれ、いつもこれでいて、と思う。

このしゃべりかたは、じつに久しぶりになんでもない話をした表現なのだろう。それだけ弥生はずっと気を使っていたのだろう。恋人にもこんなに気を使って素が出せないものなのかと思うと恋愛って面倒だなと思う。

なにげない話をしたのちに終電がホームに滑り込んでくる。きっぱり別れることのできない夏。ほんとは弥生だってつらいのだ。でも「がんばれ」と突き放し、電車に乗ってしまう。

有村架純の別れぎわの演技は最強である。そういえば、大河ドラマ『どうする家康』でも家康(松本潤)のために自ら命を絶つ瀬名(有村)は夫を突き放していた。あれも涙なくしては見られなかった。痩せ我慢は男の美学のように思うが、有村架純は痩せ我慢の美学を体現している。やんわりとハードボイルドなのだ。

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