社会課題解決に「サッカーの力」を生かしたい 元Jリーガー・石川直宏さん③

各界で活躍する方々に防災に関する取り組みなどを語っていただく「防災ニッポンボイス」。今シリーズは、元Jリーガーの石川直宏さんです。3回目は、東日本大震災が起こった2011年に改めて実感した「サッカーの力」について話していただきます。

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記憶に残る東日本大震災…命について考えた2011年

災害の中で、自分の印象に一番残っているのは、2011年3月に起きた東日本大震災です。

当時はFC東京がJ1から降格して、なんとか戻ろうとしている時でした。自分はケガをしてしばらく戦列を離れていて、3月11日は、12日に岡山で行われる予定だった第2節のための移動日でした。

車の運転中に激しい揺れ。家族の安否確認できず

チームは羽田空港に向かってバスで移動していて、メンバーに入らなかった僕は、みんなを見送った後に、引っ越し先の家の内覧に向かっていました。運転中の車がめちゃくちゃ揺れて、突風でも吹いたのか?と思って周囲を見たら、車がみんな停まっていて。駐車し、車内のテレビで状況を把握しました。

当時は妻が妊娠中で実家に帰っていて連絡がつかず、安否確認もできない。自分も、帰宅しても電気がつかない。当時は災害への備えも全くしておらず、どうしようかと途方に暮れました。

災害と、松田直樹さんの死と、子どもの誕生と

その時は、すぐに防災について学ぼうというアクションには至りませんでしたが、その年には自分の子どもが生まれたり、先輩Jリーガーの松田直樹さんが8月に亡くなったり、命についていろいろ感じることがありました。

「避難所の子にサッカー用具を」同級生からの頼み

東日本大震災から半年ぐらい過ぎた頃、中学校時代の同級生で、転居して盛岡市の高校に行った友だちから、すごく久しぶりに電話がかかってきました。

彼の友人は岩手県大槌町に住んでいたんですが、家を津波で流されて、ずっと避難所で暮らしていたそうです。電話は、「大槌町の避難所にたくさん子どもたちがいるけれど、娯楽がない。サッカーをさせたいから、用具を送ってもらえないか」という相談でした。

そこで、知り合いにも声をかけて、集まったボールなどを全部、現地に送りました。僕がその後、大槌町を訪問した時には、大槌で被災した彼のいとこでサッカーをやっていた人に直接会う機会があり、サッカー用具を送ったことに対してすごく感謝されました。

その後も、日本プロサッカー選手会が仙台でチャリティーマッチを開催した際には、大槌町の子どもたちを招待したりもしました。