紀子さま、秋篠宮さまからのプロポーズ美談はウソだった? 報じられなかった真実

秋篠宮さま「あれは完全に作った記事です」と報道をバッサリ否定

堀江 ちなみに、秋篠宮さまが紀子さまとの結婚を反対されてしまい、「もし彼女と結婚できなければ、私は皇籍離脱する!」と訴えたという話も有名ですが、あれも根も葉もないうわさだとか。宮さまご本人が「あれは完全に作った記事です」とバッサリ否定しておられます。

――恥ずかしながら、本当にあったことだと思いこんでいました。

堀江 実は、私もです。お二人のご結婚時にはまだインターネットもなく、テレビの報道や雑誌はこの手の情報を知るための唯一の手段だったじゃないですか。だからちょっとでも行きすぎた記事が出たら、それが真実だとみんなが完全に思い込んでしまっているのでは? 

 秋篠宮さまは当時から、この手の被害をマスコミから受け続けた皇族といえるかもしれません。

――眞子さまの結婚を控えた時期も、とくに雑誌関係は秋篠宮家の方々を追いかけ回し、車の中でうつむいていたら、それだけで「苦悩のご表情」と書き立てたり、なかなか先走ったことをしていましたよね。

堀江 あの風潮を批判する記事をサイゾーウーマンで載せたことはよかったと思います。さすがに行き過ぎでしたからねぇ。ちなみに、昭和天皇の喪中に紀子さまと婚約なさったことについては、批判の声もあったようですが、少なくともご両親の両陛下、宮内庁からネガティブなことを秋篠宮さまが言われたことなどはなかったそうです。

眞子さま佳子さまについて、結婚よりも「仕事というものを優先させたほうが」

――眞子さま、佳子さまがお生まれになってからもさまざまな報道がされたと思うのですが、それについて宮さまは本の中でなにかコメントなさっていますか?

堀江 娘の結婚ついて、「大学時代に相手を見つけておかないと(その後、相手を見つけるのは難しい)」と、『秋篠宮さま』の著者である江森さんに向かって語ったこともある宮さまでしたが、本書『秋篠宮さま』が出版された98年の時点では、「今は女性の結婚年齢もまちまちですから」というふうにお考えを変化させておられたことが読み取れます。

 この時、まだお相手が見つかっていなかった紀宮さま(現・黒田清子さん)の「お考えを支持する立場」だったからかもしれませんが、たとえば、「(秋篠宮家のお子さまも当時)女の子二人(だけ)だが、結婚よりも自分の興味なり仕事というものを優先させたほうがむしろ良いのでは」とお考えだったのは興味深いですね。

――しかし結局、眞子さまは大学時代にお相手、つまり小室さんを見つけ、その後は博物館や研究所などにお勤めになったりしたものの……。

堀江 そうですね。かなり結婚一筋で20代を突き進んだという感覚は否定できませんよね。子どもは親の理想どおりにならないのが普通ではありますが……。

 秋篠宮さまは「結婚しても自分のやりたいことができるかもしれないし、それもまた、その時の状況に応じて柔軟に対処」すればよいよ、ともおっしゃっています。眞子さまのケースもそういうふうになると良いな、と思ったりもしますよね。

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