透析を止めると殺人罪? 医師兼弁護士「二刀流」でみえた「人体」と「人間社会」の理解

透析を止めると殺人罪? 医師兼弁護士「二刀流」でみえた「人体」と「人間社会」の理解

週3日医師として患者を診察し、週4日弁護士として大学や病院内の法的課題に対応する。医師兼弁護士の道を進んだ東京医科大の竹口文博氏は「やらされ仕事やブルシットジョブ(どうでもいい仕事)がない。やりたい仕事だから苦はない」とパワフルだ。白衣を脱げば、弁護士バッジ。「プロフェッショナル」とは「責任であり権限」だという。

●院内・学内のよろず相談所

ーなぜ弁護士に?

臨床医としての専門は腎臓内科で、博論のテーマは透析患者さんのインスリン・レジスタンスです。血液透析治療では、末期腎不全患者さんに対して1回4時間、週3回、毎回太い針を2本留置します。重度の認知症がある患者さんでは、治療のたびに体が物理的に動かないように身体拘束をする。なぜ、拘束して患者さんが嫌がる治療を私たちがし続けるのか疑問を持ちました。上司から「透析を止めると殺人罪になるらしい」と聞き、その法的根拠を学びにロースクールへ行きました。

ロースクール3年次に透析と刑法の関係についての総説論文(透析の見合わせに関する刑法的許容性の根拠の検討)を書いて安心していたら、指導教授から、「法曹資格がないと法律家は耳を傾けないよ」といわれ、司法試験を受けたというわけです。

―法曹になってみて、変わったことはありますか

説明が上手になったことでしょうか。ローで学んだソクラテスメソッドは医学の講義にはありません。現在、病院や大学内でのトラブルの相談窓口になっています。「拒食症の患者さんが点滴を拒むがどうすべきか」「患者さんを拘束しなければ看護師に暴力が及ぶ状態だ」「お見舞いに来た人が患者さんの車椅子に轢かれて骨折の疑いがある」など次々と寄せられる「生の事実」を聞いて、法的リスクの仕分けをしたうえで必要な対応をし、高リスクと判断した場合には顧問弁護士の先生に連絡します。

東京医科大学病院には4000人の職員と、毎日3000人の外来患者さん、900人の入院患者さんがいるので、仕分けだけでも大変です。ロビーでエレベーターを待っているときに、「ちょっといい?」と持ちかけられた案件で3時間かかったこともあります。

医療現場のことを分かっていて法人本部でも働いていますので、相談者の立場からはよろず法律相談ができる、いわば床と天井に両手が届く職員として頼りにされていると感じます。

―医師、弁護士どちらの仕事の比重が大きいですか   週3日診療をしています。隔週月曜は大学病院、木曜は大学関連病院の厚生中央病院、毎週土日は震災前から、いわき市のかしま病院です。大学病院で腎臓内科医局の仲間たちに助けられている一方、医師不足のいわきでは医師として地域に役立っている実感が持てます。50代で土曜夜に一睡もできない日があるのはきついですが、良質な医療需要に差はないので還暦まで続けるつもりです。

弁護士としての職務範囲は、紛争対応から理事会ガバナンスまですごく広い。週4日のうち、医療と法律両方の知識をフルに活用してるっていうのが2日、純粋に弁護士としての知識だけを使ってるのが2日っていう感じですかね。

仕事に集中するうえで英気を養うことも重要だと思っているので、祝日は映画を観るように心がけています。

●医師兼弁護士はもっと欲しい

―医療界には稀有な存在ですね   病院ですので、医療の専門家はたくさんいますが、士業の文系専門家が全然いない。法律だけでなく、倫理の話、経営の話なども回ってきます。医師向けには「医療関係法規」「医療訴訟」「働き方改革」、学生向けには「カルテ記載」「ネットリテラシー」などを教えています。他大学の法学部や看護学科から「キャリアデザイン」のオファーもあります。

医療と法の中間点を標榜できる者の仕事は山ほどある。医事紛争、ハラスメント、雇用トラブル、知的財産管理、コンプライアンス…東京医科大という法人だけでも、あと3人医師兼弁護士がいてもいい。そうすれば、より法的対応力が増すと思いますね。

―法曹の志望者が減っています。医師からの転身など社会人の比率も下がっており多様性がないと言われています

医師国家試験は択一試験型で、医学生時代に訓練を受けているので親和性が高いですが、医学科の試験や臨床実務では長文の書面を作成する機会が少ないので論文試験対策の負担が大きい。ロースクールが受験一辺倒になることは、教育上危険だと感じます。実際、ローでは受験マシーンみたいな人を多く見ました。医学科のように入学時のハードルを上げる替わりに、ローを修了した学生がもっと受かりやすくしたほうがいいと思います。

―医師から法曹資格を得るのはハードルが高いでしょうか

時間とリスクが取れれば、でしょうか。私の場合は、もともとは論文を執筆するためにローに行ったので留学の代わりという形でした。

理系は数字をエビデンスとして問題を解決する世界で、図も表も使わずに、文字だけで答案をひたすら書き続けるというのは馴染みにくい。司法試験に合格するための技術が、医師の思考とあまりにも違います。

医学科をストレートで卒業しても、後期研修医を修了して専門医として独り立ちする時点で29歳です。外部からは、司法試験の合格率(50%弱)は、まるで博打のような状態に見えます。この年齢でローを選ぶ人は少ないですし、後輩に勧めるのを躊躇するという面があります。

それでも、仕事の幅や、視野が広がるから、周囲の医師や医学生には勧めたい。私はロー時代に「医療側で活動するわけだから、患者側も学んでみては。どういう活動をしていて、 何に悩んでるのかが分かるはずだ」と言われ、エクスターンシップで患者側の弁護士事務所を経験しました。患者側で誠実に活動している弁護士の考え方が理解できたことが、医療側で行動するうえで大きな財産になっています。

―医師の仕事にも変化があったということですね

医師は、ホモ・サピエンスとしての「人間」の専門家で、法律家は、ヒューマン・ビーイングとしての「人間」の専門家です。人間の治療をするにあたって、社会での人間の悩みや苦しみを知ることは大事だと感じています。

例えば、外来で患者さんが言っていることは、正当な要望なのか、医療費に対する不安なのか、病院職員へのクレームなのか、自分の病状への怒りなのかを深く考える。そうすることで、自信をもって目の前の患者さんに接することができるようになりました。医師個人も付加価値が求められる時代になるでしょう。より社会に貢献できる人材に近づけるし、職業生活としても格段に面白いはずです。

医学科生には、アルバイトで、「センセイ」と呼ばれない仕事を経験するよう伝えています。私は医学科時代に、4畳半のアパートに住んで、コンビニとクリーニング店で働きました。学生時代に多くの人と会話し、いろいろな立場の人を知ることが、思考の厚みにつながります。

病院での治療をめぐる倫理相談を受けていると悩みが多い。医療者の立場からは、自分の考え方が大外れしていないかを確認するために、経験豊富な多職種の意見を聞くことに価値があります。倫理的な問題は、そもそも正解はありません。担当医の立場からは、自分なりの理由と結論が妥当かを確認でき、「簡単に答えが出るものではない」と理解できる場所があると安心できます。

―医療界には法的知識が不足していると思いますか

医療者は、患者さんのプライバシーや個人情報にもっと敏感になるべきです。患者さんの権利意識が高まっているのに、今だにマイル―ルで臨床や研究をする医療者がいます。法律に関心を持つことが結果的にその医療者を守ることになるのだと、粘り強く医療現場に伝えていきます。

ただ、危険を伴う大手術の施行や、命に関わる治療の中止になると複雑です。医療現場に与えている法律の強制力は大きく、恐怖だと捉えられています。だから法律家として言い方に気を付けないと、議論を止めてしまう。本来、リスクがどの程度か、リスクの度合いで判断も変わり得る。でも「リスクがある」という時点で、現場は思考停止するのが現実です。訴訟リスクの話になれば、どうしてもディフェンシブな結論になる。法律のほうで基準を決めてほしい。現場任せにされている状態は限界だと思います。

―法曹界では、基本的な医療への知識は必要でしょうか

医療事件では、もっと丁寧に患者の話を聴くべきだと主張されたり、説明義務違反を問われたりします。しかし、複雑な現代医療について、外来で1時間に10人の患者の診療しなければならない医師が、どうすれば要求されている水準の説明をできるのか。原告代理人が医師でも難しいはずです。30分に1人の法律相談の感覚で、医師に説明義務を求めていないでしょうか。医療現場のスピ―ドを理解してもらえないことに違和感があります。

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