歌っている自分に没入せず余裕あるたたずまい
そして、この全体を把握する力が余裕あるたたずまいにつながっています。高い音を出すときでも常に周囲が見えている安心感があります。歌っている自分に没入していないのです。たとえば、目が血走って肩も肘もガチガチでハンドルを握っている人の運転する車に乗りたいと思うでしょうか?
歌もそれと同じこと。曲が道だとすれば、歌手はドライバーで聞く人は乗客。目的地に安全に到着することと、道中を楽しませることを両立させなければなりません。
熱唱しなくても豊かな声量を確保できる竹内の歌には、ときにリズムをずらして遊ぶ余裕があります。一生懸命さや必死さに甘えないところも、他にはない強みだと言えるでしょう。
喉(のど)を締め付けるような苦しさがなく、大きな骨格の箱で鳴っている。フィジカル面でのアドバンテージを生かした歌には、昨今の音楽シーンにはないスケール感があります。
余興のまま遊ばせておくのは音楽シーンにとって損失
いまのところ、バラエティ番組などでお遊び的に歌うことが多いようですが、これを余興のまま遊ばせておくのはもったいない。日本の音楽シーンにとって大きな損失です。
ただ上手いのではない。竹内涼真の歌は、良いのです。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
配信: 女子SPA!
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