入管問題を正面から扱った、おそらく日本で初めての絵本『私は十五歳』が、8月の終わりに出版された。原案となった作文を書いたのは、幼い頃、自国で迫害される危険を逃れて、家族とともに来日した中東出身の女性、アズ・ブローマさんだ。
入管問題に取り組む弁護士グループ(*1)が4年前から開催している「仮放免の子どもたちによる絵画作文展」。その第3回(2023年11月)の優秀賞に選ばれ、絵本化されたこの作品で、アズさんは、ある日在留資格を奪われ、家族全員が「仮放免」になった現実を淡々と記している。
「自分たちに起きたこと、本当のことだから(作文を)書けました」。流暢な日本語でそう話す彼女に、来日からこれまでを聞いた。(取材・文/塚田恭子)
●パパとママが収容されないために「演劇」でアピール
迫害を逃れてひと足先に日本に来ていた父親を追って、5歳半のときに家族とともに来日したアズさん。
「小学校に入学するまでは、学校に通い出した姉たちが家で日本語教室の宿題をしているのを隣りで見聞きしながら、日本語を覚えていきました」
小学校に入学後は、アズさんも日本語教室に参加した。
「登下校はいつも日本人の友だちと一緒だったので、平仮名、カタカナ、漢字も少しずつ理解していきました。日本語教室の先生も、校長先生もすごく親切で。校長先生は一緒にタイヤ飛びをしながら、掛け算を教えてくれました」
小学4年の学期途中、アズさん姉弟は家を引っ越した。先生や友人に慣れた学校から転校することになったが「(転校した)その日に、すぐ隣の席の子と仲良くなって。授業が終わると、10人くらいで集まって近所の公園で追いかけっこをして遊びました。中でも、家が近所のAちゃんとは互いのよく家を行き来して、お泊りしたり、すごく仲良くしていました」。
小中学校時代はクラブ活動で理科部、そしてバトミントンやテニスなどの運動部に所属。その一方で、アズさんは同じ境遇の子どもたちと一緒に演劇活動もおこなった。
「演劇を通じて、自分たちが直面している問題を明らかにできればと思っていました。たとえばパンデミックのとき、コロナウイルスは外国から入ってきたからと、外国人が差別されたじゃないですか。そういう差別のことや、水やトイレットペーパーの買い占めの問題なども、劇にしました」
アズさんと知り合って8年になる支援者の細田三枝子さんは「自分たちの民族が平和になること。パパとママが入管に収容されないこと。私はそのために演劇をやっているんだと、まだ小学5年生の少女が言うんです。それを聞いて、日本で同じ年頃の子が置かれた状況とあまりに違うことに衝撃を受けました」と話す。
●在特が出た家族に「仮放免中は日本にいなかったことにして」と伝える市の職員
日本の子どもたちと変わりなく小中学校で学び、遊んできたアズさん。だが、絵本にも描かれているが、彼女が来日して9年目に一家全員が在留資格を失い「仮放免」という立場にされた。
仮放免の状況に置かれた外国人は、健康保険に加入することも就労することもできず、入管が許可しなければ、住んでいる都道府県の外に出ることもできない。住民登録ができないため、行政に関わるサービスもほぼ受けることもできない。
「ある日、入管に居場所を奪われて、『あなたはここにいないよ、見えないよ』と、突然、透明人間にされてしまった。一言でいえば、そういうことです」
幼い頃から日本社会や日本の大人たちを見てきたアズさんは、外国人に対する日本の本音と建て前も肌で感じている。
「仮放免の外国人は、入管から仕事をしていいとかダメとか決められる立場にいます。でも、外国人は、日本人がやりたがらない仕事をしていたりするので、もしそういう職場で働いている外国人が全員いなくなれば、その職場は成り立たないでしょう。それなのに、日本の政府はどうして外国人から在留資格を奪い、働くなと言って、居場所を奪うのでしょうか」
2023年6月、国会で成立した改正入管法は、今年6月に施行された。この間、2023年8月、当時の法務大臣は仮放免の子どもたち(とその親)に、一定条件のもとで在留特別許可(在特)を与える方針を発表している。
しかし、ほぼ同じ境遇でありながら、在留資格が出た家庭がある一方で、出ていない家庭もある。国のこの方針は、当事者のあいだに軋轢を生みかねない残酷な線引きをしている。
今年は8月2日から4日まで開催された「仮放免の子どもたちによる絵画作文展」にも、アズさんは作文を出している。作文には、在特が出た家族に「仮放免中は日本にいなかったことにしてください」と市の職員が伝えるのを聞いてびっくりしたこと、在特が出た家族が役所で手続きをするためアズさんが通訳として同行したことなどが記されている。
配信: 弁護士ドットコム