「子どもの愛し方がわからない母親だっている」依存症だった母との壮絶な日々

「子どもの愛し方がわからない母親だっている」依存症だった母との壮絶な日々

コメンテーターとしても活躍する、内科医のおおたわ史絵さん。今年4月に文庫化された『母を捨てるということ』では、母親との壮絶な日々をつづって大きな話題となりました。


おおたわさんの母は、鎮痛薬の常用から依存症になり、使用済み注射器が散乱しているような家庭でした。母は些細なことで激高し、叩かれたり、煙草の火を手に押し付けられそうになったことも。薬をやめさせようとすると「お前なんか消えろ」と罵倒され、いつか母に手を上げてしまうのではという恐怖から関係を断ったといいます。母は76歳の時、自室で亡くなっていました。

わたくし大日方理子は、実は、13年前にテレビ出演時のおおたわさんのスタイリストをしていました。今回インタビューさせて頂き、2回目は「母性」「依存症」について話を伺います。

母のことは、ほとんど誰にも話さなかった

――『母を捨てるということ』を読んで驚きました。おおたわさんのスタイリストをしていたのは2010年頃で、当時はお母さんとの関係がこじれていたなんて、全く知らなかったので。

おおたわさん(以下おおたわ):自分としては母のことはあまりにも日常だったし、我が家のネガティブな部分なので、わざわざ話すようなことでもないと思っていたのでしょう。当時のマネジャーも含めて、周りの人にほとんど母の話をしていませんでしたね。

「まずはお母さんから離れて、家族が入院した方がいい」と依存症専門医の竹村道夫先生にすすめられ、父と私が入院を決めたときも、当時のマネージャーには「田舎の方にしばらく行って携帯が繋がらないから、何かあったらこっちから連絡する」とだけ言ってありました。

依存症者の家族は病的な状態になっているから、まずは家族の治療が必要だということだったんです。

――本を書くのにすごく勇気が必要だったのでは?

おおたわ:そうですね。関係している人たちがいる間は、やはり書けませんでした。書き始めたのは、母が亡くなって5年ほどたってからです。それでも書けなかったことはいくつもあります。書けなかったことは、これからも誰にも話さないのだと思います。

異常な執着は、愛情だったのだと思う

――世間では、「母親は無条件に子どもを愛するものだ」という母性神話があります。でも、おおたわさんのお母さんの行動は、はたから見ると虐待だと感じてしまいます。お母さんからの愛情を感じていましたか?

おおたわ:愛情はあったんだと思いますよ。愛情の裏返しは無関心ですから。母は私に対して無関心どころか異常な執着を持っていました。愛情をああいう形でしか表現できなかっただけで、私に愛情がなかったわけではないと思います。

<母親の教育ママっぷりは、かなりエキセントリックなものだった。

小学生になると我が家には毎日計算ドリルのノルマがあり、ストップウォッチを持った母の目の前でやらねばならなかった。制限時間に少しでも遅れるようなら、教科書やコーヒーカップが手当たり次第に投げつけられた。

母の怒りは一旦火がついてしまうと制御不能になる。一度などは石でできた大きな灰皿が当たって、額から血が出たこともあった>(『母を捨てるということ』より)

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