「子どもの愛し方がわからない母親だっている」依存症だった母との壮絶な日々

「子どもの愛し方がわからない母親だっている」依存症だった母との壮絶な日々

愛情の表し方がわからない母親もいる

おおたわ:父が亡くなってからは、わがままを言ったり、嘘を言ったり、面倒を起こしたりすることで、私を振り向かせたかったんでしょうね。愛情の表し方がわからなかったのだと思います。

だから、今となっては母も苦しかったのだろうと思いますね。でも、そんな風に考えられるようになったのも母が亡くなって『母を捨てるということ』を書く過程で、出来事を整理する時間を持てたからです。あのとき母はきっとこんな風な想いだったんだろうなとか、彼女も辛かったのかなとか、どうしようもなかったんだろうな、ということは後から思うようになりましたね。

<著書の後半で、実はおおたわさんの母も、子どものころ祖母(母の母)に“捨てられた”ことが明かされる。祖母は、酒乱の夫に耐え切れずに家を飛び出して、バスを目指した。泣きじゃくりながら追いかける母とその姉。祖母は、なんと先についた姉だけを抱き上げてバスに飛び乗ってしまい、幼い母はひとり取り残されたのだ。

母の葬儀で初めて親族からこの話を聞いたおおたわさんは、母の辛さの根源を知ったという。>

子育ては「できて当たり前」じゃない

――世間では、親子関係をめぐる事件が起こると「母親なのに」と批判されます。一方で、子どもがかわいくない、愛せない、と悩む母親もいます。母性は誰にでもあるものでしょうか?

おおたわ:私には子供がいないので、子育てをしている人の本当の気持ちはわかりません。

ただ、誰にでも育てる適性が備わっているのかと問われたら、そんなことはないと思います。子どもを育てているお母さんは、やらなきゃいけないと思って、いろんな努力をしながら、あらゆる我慢をしながら、子育てしているのでしょう。お母さんたちはみんな偉いなぁ、と思いますよ。

私が母親を見てきて思うことは、どんな母親も正解なんてわからなくて、迷うのではないでしょうか。愛し方、育て方に正解はないし、何が正しかったのかはわからない。その人なりの正解を求めていく以外にないんだろうと思います。

それは逆に言えば、他人がとやかく言えることではないと思うんですよ。

そして、どんな母親でも、子供にとっては、その人がたったひとりの母親なんですよね。

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