三木道三「一生一緒に〜」の“女編”が大ヒット…RSP元メンバーが今だから話せる“当時の本音”

三木道三「一生一緒に〜」の“女編”が大ヒット…RSP元メンバーが今だから話せる“当時の本音”

 2007年の夏、とある曲が女性たちの心を掴みました。三木道三「Lifetime Respect」のアンサーソング、「Lifetime Respect -女編-」です。


 女性目線で歌った等身大のラブソングを、当時有線やラジオで耳にした人も多いでしょう。大ヒットソングの歌い手であるボーカル&ダンスユニット「RSP」は、その年の歌番組で最優秀新人賞を獲得。2013年に解散するまで、多くの女性たちの支持を得ました。

 しかし、華やかな世界の裏側には苦労がつきもの。RSPの元ボーカルSakiさん(Instagram:@saki8mt)は、当時の自分を振り返り「劣等感と、自己否定と疎外感の塊だった」と告白します。

 解散後、「RSPのSakiであることを忘れてほしかった」と一度は表舞台を去った彼女。今だから話せる“あの頃の本音”と、今の生き方に至るまでを教えてくれました。

デビュー当時から抱えていた悩み

 2006年12月、RSPのメンバーとしてデビューしたSakiさん。デビュー当初から、劣等感や疎外感を持っていたといいます。

「初期のRSPはボーカル2人、ダンサー4人の6人編成。だからボーカルは横並びで、同じ立ち位置だと思うじゃないですか。でも1stシングルから、私はぽんっと後ろに下げられたんです。多分、それが劣等感の始まりだったかもしれません。

『なんで自分じゃないんだろう。ふたり同じ立ち位置じゃないんだな』と。他のメンバーが全員関西出身で、私だけ福岡出身だったことも疎外感の原因かな。CDの担当ディレクターさんも、私たちの担当の人も関西人。メンバー自体がオーディションで集まっているから、年齢もバラバラ。いちばん下のメンバーとは8歳も違っていました」

 ソニー・ミュージックから鳴り物入りでデビューしたにもかかわらず、1stシングルの売上は芳しくない結果に。「何か絶対に売れるものがないと生き残れない」と当時のプロデューサーが考案したのが、ソニーが得意としていたサンプリング(※楽曲や音源の一部を切り出し、それを新たな楽曲の一部として用いる手法)を用いた楽曲リリースでした。

「関西から生まれたグループだから、関西弁のサンプリングだったら売れる確率が上がるだろうって。たくさんの候補曲の中から『Lifetime Respect』が選ばれて、私たち自身も『めっちゃいいやん!』ってワクワクしました。ただ私とAiちゃん、どちらが曲の世界観に合ったボーカルかと言われると、やっぱり関西で生まれ育ったAiちゃんだった。ヒットを機にRSPはAiちゃんを中心に進んでいって。私は諦めを経て立ち位置を受け入れつつも、自分とチームのバランスの中でもがいていました」

 RSPで活動した年月を振り返り、Sakiさんは「私もAiちゃんもお互いに苦しかった」と口にします。

女性ボーカルふたりが背負ったプレッシャー


「当時は似たようなガールズグループがたくさんいたから、差別化を図るためには“ちょっと不器用な関西弁の女の子”を押し出していくほうが、おもしろくて正解なのかなとわかっていました。元カレの話だったり、ペットの話だったり、家事が苦手な女の子の話だったり。基本はAiちゃんをメインにした世界観。でも私と彼女は、育ってきた環境も性格もまったく違う。あまりにも自分の内面とは違う楽曲なこともあって、インタビューでも何を答えたらいいかわからなかった。だけど、大人たちの期待やプレッシャーを一身に背負っていたAiちゃんも、すごくしんどかったはずです」

Sakiさんの目には「本当にまっすぐでピュアな人」に映っていたという相方のAiさん。グループ内での自分の軸を見つけられず、Sakiさんは次第に自分の存在価値がわからなくなっていったと言います。

「劣等感や自己否定の感情を抱えていると、自分自身がどこか醜く思えて、素直な感覚が鈍ってしまって。そして、その素直な感覚さえも、周りを含めた色々なことを考えてしまうと、表に出せないジレンマがありました。そんな中で、自分を上手く表現できなくなっていったのかもしれません」

 そしていつしか、「Aiちゃんを支える役割として存在しよう」と思うようになっていきます。

「自分が何をしたらいいのかわからなくなってしまい、Aiちゃんがやりたいことを一緒にやろうと思いながら活動していました。一方で、私個人がやりたいこと……たとえば大好きなジャズの要素を入れたいと考えても、『この情熱は共有できないだろう』って感覚があった。でも、それを直接言えないし、上手く伝えられない。決して不仲ではなかったけど、『いつか“離婚”するから頑張ろう』って意識を持っていたから走り抜けられましたね」

 グループを取り巻く“大人の事情”やしがらみ、自己否定に劣等感。外側からも内側からも襲ってくるそれに、「歌ったり喋ったりしようとしても、体が拒否して喉がキュッと締まるときがあった」のだとか。何度も悩み、苦しみ、喜びを分かち合った果てで解散を迎えたとき、Sakiさんは「救われる出来事があった」と明かします。

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