我が子を虐待してしまうのは“鬼母”なのか?刑務所のドクターが見た真実

我が子を虐待してしまうのは“鬼母”なのか?刑務所のドクターが見た真実

「子どもを育てる」ことが理解できない母もいる

――女性が犯す罪のひとつに、児童虐待がありますよね。子どもを虐待した母親のニュースを見ると、その人なりの事情があったのだろうと思う一方で、やはり「許せない」「鬼母だ」と感じてしまうのですが…。


おおたわ:養父が虐待するパターンが多いのですが、養父と実母が一緒になって虐待するということもあります。自分が産んだ子なのにどうして?ということですよね。

「許せない」と感じる物差しというか、世の中の女性がみんな自分と同じ価値観を持っていると思うこと自体に、ものすごくズレがあると思います。

誰もが母としての適性があるかと言ったら、そんなことはありません。性行為をすればかなりの女性が妊娠・出産はできるけれど、母性や子供を愛する能力を持っているとは限らない。生育環境や精神遅滞によって、そもそも「産んだ子どもは育てねばならない」ということが理解できない人もいるのです。

子供がかわいそうだとかいう葛藤なしに虐待に至る人たちがいるということです。泣いてる子供よりも、目の前に美味しいものがあったから食べたいとか、デートしたいとか、遊びたいから子どもは置いていっちゃおうかな、と思う。置いていったら死んでしまうかもしれない、ということもよくわからない。

よく、警察の取調べで「放っておいたら死ぬかもしれないとは思っていた、と供述した」とニュースにはなりますが、あれも疑わしいと思います。警察は殺意があったのか知りたいので、「放っておいたら死んでしまうとは思わなかったんですか?」と聞く。すると、「そうかもしれませんね」くらいの返事になって、「わかっていて放置した」ことになってしまう。

社会で保護して育てるしかない

――誰でも本能で子育てできるわけではないですもんね。

おおたわ:受刑者と話していると、やったことの大きさや自分の人生に対する現実感を持っていないような、張り合いのなさみたいなものを感じることがあります。

だから、子どもを育てるのが難しい人がいるなら、周りが保護して育てるしかないですよね。「母親なのに虐待した」と批判するのではなくて、子どもは社会で育てるもの、という考え方にするしかない。今は福祉にも限界があって家庭にズカズカとは入っていけないけれど、福祉がもう少し介入できるようになると、拾い上げられる命があるかもしれないなと思います。

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