親にとって子を産み育てることは、喜びと同じぐらいの責任も重くのしかかってきます。
フジテレビの密着ドキュメントが大反響を呼び、YouTubeチャンネル「漆ちゃんfamily」も、登録者数も44万人と人々の注目を集めるうるしやま家。
笑顔と笑い声があふれる6男7女15人の大家族の中心にいるのお母さん・漆山佳月さんが語る「うるしやま家の家訓」とは、どのようなものなのでしょうか?
今回は著書『15人大家族 うるしやま家のママ流 笑顔がたえない36の家訓』(KADOKAWA)より、
・親になる自信はなくても産む選択には自信があった
・「普通」の子育てなんてわからなかった
をお届けします。
親になる自信はなくても産む選択には自信があった
インスタのDMで、
「〇人目の子を妊娠したんですけど、経済的なことを考えると不安もあって……。佳月さんだったらどうしますか?」
と聞かれることがけっこうあります。
悩む気持ちはとってもよくわかります。
何人目であっても、産むかどうかを悩むのは、産んだ後のたいへんさを考えるからだと思うんです。
経済的なことはもちろんですが、子どもが増えることで、今までできていたことができなくなるかもしれない。時間もなくなるし、仕事も辞めなければならないかもしれない。
わたしが3人目を産んだころは、まだお店を独立していなくて、夫婦ともに勤めていました。3人とも保育園に預けていたのですが、保育料は月に22万円超え。
当時は子どもの助成金もほとんどなかったですし、実家が遠方のため保育やお迎えを頼むこともできず、保育料以外にもかかるお金がかなりありました。
夫と2人、保育料のために必死に働いているような日々。
それに、子どもに何かあって仕事を休む時は、勤め先に言うのが申し訳なかったです。
それでも、産むかどうかの相談を受けたら、
「わたしなら、産んで後悔はしないけれど、産まなかったら後悔すると思う」
と言っています。
わたしも、いい親になれるかどうかの自信はありませんでした。
でも、保育料に22万円以上払っていた時でさえ、産んだことを後悔したことはないです。
夫と2人で「とにかく働いてがんばろう!」と決めていました。
独立したのは28歳のころでしたが、自分たちのお店を持ってからは、時間外だろうが休みだろうが関係なく働きました。
予約を取って仕事をすればするだけ収入になるし、着付けもわたししかできないので、休日でも早朝から予約を受け付けました。
そして、夜から朝方までバイトもしていました。お店が終わって家に帰って子どもたちにご飯を食べさせたら、夜また仕事に行くという感じでした。
あとから聞いた話ですが、子どもたちは「どうしてママが夜行かなきゃいけないの?」と言っていて、ママが夜出ることがすごく嫌だったと言われました。
子育てはもちろん、お店で働いてくれているスタッフへの責任も強く感じていました。東日本大震災後の計画停電のために、お店は開けていても営業ができない時は特につらかったです。
休む時間もないし寝る時間もなかったけれど、それでも子どもたちを授かって産んだことは正しい選択だったと思っています。
正しいかどうかというより、わたしらしい選択だったんだと思います。
それぞれの家族には、いろんな事情があると思います。わたしの選択が誰にとってもいいとは思いません。
ただ、どんな選択をしても、自分らしいと思えればいいんだと思います。
産んでも産まなくても幸せに生きることはできるし、子どもが1人でも2人でも13人でも楽しい暮らしは送れる。家族はいつでも味方でいてくれると思っています。
「普通」の子育てなんてわからなかった
長男を出産したのが21歳の時。一度も里帰りせず、親も上京せず、初めての出産と育児に必死でした。
周りを見ると、里帰りしたり親に手伝ってもらったりしていて、やっぱりうらやましかったです。
子どもが病気や入院した時も、周りは家族が付き添いを代わってくれていたり、お弁当を買ってきてくれたり、いいなって思っていました。
夫は夫でフルで仕事していたので、育児を手伝う時間もなかったのです。
長女、次女の時だけ里帰りし、母が上京してくれた時もありましたが、母は父の看病があったので、ほぼ夫婦2人で仕事、出産、子育てを乗り切ってきました。
育児休暇の制度も整っていなかったので、出産してひと月くらいで仕事に復帰していました。
当時、女性の美容師さんは妊娠したら仕事を辞める方が多かったです。出産後に仕事に復帰する人は、勤務先では1人もいませんでした。
長男をおんぶして成人式や結婚式の着付けをして、1日中働く日々。よくやってきたなあって、今は思います。
わたしは、20代の時に下肢静脈瘤の手術をしました。静脈には、血液が心臓に戻る時に逆流しないように弁がついているのですが、その弁が壊れたことで静脈瘤ができました。
美容師は立ち仕事なので、静脈瘤ができることはそれほど珍しくはないのですが、20代でなる人はほとんどいないと言われ、手術をした時も「あなたみたいな若い人が?」と同じ病院で手術した年配の方に言われました。
当時のわたしは、産前もギリギリまで働き、産後もすぐに働いていたので、お店で立ち仕事をした後、家に帰っても家事と育児でほとんど座るヒマがなかったです。
術後、先生にも「同じ生活をしていたら、またなるよ」と言われました。そして、また同じ下肢静脈瘤になりました。
初めての子育ての時は、『たまごクラブ』『ひよこクラブ』を買ってよく見ていました。何人授かっても、不安はたくさんありましたが、妊婦健診がすごく楽しみで、赤ちゃんの成長、子どもたちの成長が楽しみでした。
わたしは性格的にあまり他人のことが気にならないタイプです。「普通の子育て」とか「一般的な子育て」を意識したことはありません。人と同じようにしなきゃという気持ちもあまりなく、親から誰かと比べられたことがないから、他の人や他の家のお子さんのことがあまり気にならないのかもしれません。
「みんなやっているからこうしなきゃ」「こうでなきゃ」という思いにしばられなかったのは、両親にすごく感謝しています。
保育園では親はみんな働いているから送り迎えの時間がバラバラで、立ち話をして周りの家庭でどうしてるという話を聞く機会はあまりありませんでした。
よく意外と言われますが、わたしはけっこう人見知りなので、話しかけられたら話しますが、自分からぐいぐい話しにいく感じではないです。
よその家族の話をしている場に呼ばれたことはありますが、ほぼ右耳から左耳です。
一度、今でも仲のいい友人に言われたことがあります。「すごい興味ない顔してるよね」って。
「〇〇さんの家は△△だって……」みたいな話は興味がなく、空返事をしていることを同じ考えの友人に見抜かれていました。
15人大家族 うるしやま家のママ流 笑顔がたえない36の家訓
配信: マイナビ子育て
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