元テレビ朝日アナウンサーで現在はタレントとしても活躍する竹内由恵さん。結婚を機にテレビ局を辞め、夫の地元である静岡へ移住した竹内さんに、当時のことを聞きました。
■「絶対に自分が間違えてはダメだ」
(竹内由恵さんInstagramより)
ーー竹内さんは2008年にテレビ朝日に入社して、同年10月から『ミュージックステーション』の8代目サブMCに就任しました。いきなり大物アーティストばかりが出演する人気番組のMC、しかも生放送ですよね。
竹内由恵さん(以下、竹内) 『ミュージックステーション』は自分も視聴者として見ていて憧れの現場だったので、担当させてもらえるとわかったときは夢のような気持ちでした。上司から「竹内はミュージックステーション担当して」と言われた瞬間のことは忘れられないですね。
でも同時に、毎週の生放送で、隣にタモリさんがいて、素晴らしいアーティストの方たちが来て……というのは、ものすごい緊張感でもありました。周りの方々に比べたら私なんてそこまで大したことをしていないのですが、当時の私にとってはその場で話すというだけでもとにかく緊張の連続で「絶対に自分が間違えてはダメだ」と意識していました。
ーー視聴者として見ているととてもスムーズな進行で和やかな雰囲気なのですが、やはりスタジオには緊張感があるのですね。
竹内 はい、特に楽曲のスタンバイの瞬間には一気に緊張が走るというか、ピンと張り詰めた空気が流れるんです。その真剣さをすごく間近で見させていただいてありがたく思うとともに、「自分は絶対にこの舞台を汚してはいけない」と思っていました。しばらくはもう緊張しすぎて、ずっとお腹が痛くて。毎週金曜になるとお腹を壊してしまって、ぐるぐる、ぐるぐる……ってお腹の音が鳴っちゃうんです。どうか周りに聞こえませんように、と祈っていました。
ーーものすごいプレッシャーだったんですね。
竹内 タモリさんにはずっと「素の状態で楽しめばいいんだよ」と温かい言葉をかけていただいていたのですが、自分の「素の状態」がなんなのかさえ全然わからなくて。ただ、次第に「あれっ、今そんなに緊張してないかも」と感じられるときが増えて、心からみなさんの音楽を楽しんでいる状態でお仕事できるようになっていきました。5年間、すごくいい経験をさせてもらったなと思います。
■夫と出会ったのは絶妙なタイミング
テレビ朝日でバリバリ働いていた頃の一枚(竹内由恵さんInstagramより)
ーーその後、スポーツ・お天気キャスターとしても活躍の場が広がっていきました。
竹内 『ミュージックステーション』をやらせてもらってはいましたが、番組は週1でそれ以外の日に自分がなかなかお仕事いただけなかったので、自分からお仕事を取りに行かなきゃいけないと思って、スポーツ取材を始めました。政治や事件の現場はなかなか勝手に動くわけにいきませんが、スポーツなら自分の意思で取材に足を運ぶこともできたんです。
続けていくうちにスポーツ関連のお仕事も振ってもらえるようになりました。スポーツ番組もやっぱり生放送が多いですし、その場の臨場感とか緊張を感じながら伝えるのですが、それも本当に刺激的でしたね。すごく楽しかったです。
ーーアナウンサーとして仕事が充実していた33歳のときに、竹内さんは退社して結婚・移住しています。大きな心境の変化があったのですか?
竹内 まさにそういう感じで、20代と30代でガラッと意識が変わりました。20代の頃は全くと言っていいほど結婚とか子どもとか興味がなかったんですけど、街中を手を繋いで歩いている母子の姿を見て急に「すてきだな。ああ、自分もああいうふうになりたいな」って本当に素直に思うようになって。「結婚して子育てをしたい!」という気持ちがどんどん膨らんでいるときに、夫と出会いました。
夫は同い年で、彼も同じように「結婚して子育てしたい」と思っているときだったようで、トントン拍子に話が進んで結婚することになりました。
配信: マイナビ子育て