松本潤が大河ドラマ後に“演劇界の巨匠”の舞台へ出た必然。18年前の演劇出演時と変わらないものとは

松本潤が大河ドラマ後に“演劇界の巨匠”の舞台へ出た必然。18年前の演劇出演時と変わらないものとは

18年前の松本潤も見せた無駄の無さ

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容疑者として暗い眼をしてぶっきらぼうに振る舞う松本は、今回の舞台に出演するにあたりおそらく筋力をつけたのであろうか、これまでよりも身体が鍛えられたような印象を受ける。

ひとまわり大きくなったように見えるにもかかわらず、動きに切れ味があるのは筋肉の賜物に違いない。


だがこの鋭角的な動作を筆者はかつても観た記憶があった。18年前、2006年の野田秀樹作、蜷川幸雄演出の『白夜の女騎士ワルキューレ』でのことだ。このことは何度も擦(こす)り続けているのだが、当時、筆者はパンフレットの稽古場レポートを書くため稽古場を見学していた。

野田の描く、被膜(ひまく)の下にもうひとつの世界がある多層性を、奈落(ならく)の上と下で表現した蜷川演出。冒頭、松本は奈落に潜って蓋(ふた)を開ける作業を行う。その手際の良さ。機能美のような無駄のなさが、あのときといまもいい意味でまったく変わっていないように感じた。

当時、当人は、数多くのステージ経験でこういうことは慣れっこなのだとあっさりしたものだったが、筆者としては、松本潤の職人的な端正さは得難いものだと感じた。

松本と野田秀樹の考えが違っていたことも

あれから18年、野田秀樹作、演出の新作『正三角関係』で松本が演じたのは、まさに匠の職人であった。

9月の上旬、松本がゲスト出演したトーク番組『A-Studio』(TBS)では、富太郎が花火の発火装置のようなものを作る場面の稽古について語られた。

このとき松本は手際よく作業を行おうとし、身近な道具を使った工作のようなことを「こういうのきれいに作りたいんです」と松本は振り返った。さらに誰がやってもきれいに失敗しないように作ることができるシステムにまで昇華させたいと思ったようなのだが、野田秀樹の考えは違っていた。もっとラフなものを求めていたようなのだ。

永山瑛太は、野田はあえて手こずる過程を経て、その先にあるものを見出したいのではないかと、推測した(プラスアクト9月号、筆者による永山瑛太インタビューより)。

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舞台上でのハプニング性も大切にしている野田は、たとえば、劇中活用される養生テープはあえて切れてもおもしろいと考えていたようなのだ。

『えんぶ』10月号で筆者が取材した出演者座談会で、村岡希美が「(切れないように)あらかじめ準備すればできるけれどそれじゃつまらないというところが野田さんの創作の出発点なのかなと」と推察していた。実際、初日、永山と野田の場面でテープが切れて、その対処にあたふたする一幕があり、その予想外の間合いが面白く感じた。

一方、松本は合理的な感覚でテキパキ物事をまとめようとする。そんな松本のことを永山は先述のインタビューでこう言っていた。

「潤君は野田さんに積極的に意見を言っていて、凄いなあと僕は傍らで見ています」

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