「うつ病だった私が…」傍聴に通った24歳女性が“袴田事件は人生そのもの”と語るワケ

「うつ病だった私が…」傍聴に通った24歳女性が“袴田事件は人生そのもの”と語るワケ

 1966年、静岡県清水市で一家4人が惨殺された事件で死刑が確定した袴田巌さん(以下、巌さん)のやり直し裁判で静岡地裁が無罪を言い渡したことを受け、検察トップの検事総長は2024年10月8日、控訴しないことを明らかにしました。

 半世紀にわたり死刑囚として生きてきた巌さんの無罪が確定したニュースは、大きく注目されています。


 そして、長きにわたる戦いの背景には、巌さんの支援者の存在もあります。静岡県清水市で暮らす、“なかがわ”(X:@m_nkgw2000)こと中川真緒さんも、その一人です。

 無罪判決が下された当日には、Xで巌さんとのツーショット写真を投稿し話題に。「今の私にとって袴田事件は人生そのもの、ライフワークです」と笑顔を浮かべるなかがわさんに、自身の転機を尋ねました。

※このインタビューは検察側が控訴を断念することが報道される前に実施しています

袴田事件を通じて注目され“息切れ”も

――静岡地裁で袴田巌さんの無罪判決が出て以降、10月6日に自身のXで「実は少し息切れもしています」とポストされていたのが気になりました。

なかがわ:周囲から褒められたり、期待されたりすることが多くなり「そんなにできた人間じゃないのに……」と、恐縮する思いからのポストでした。静岡地裁での無罪判決があり、袴田さんとのツーショット写真をアップした日には、Xのフォロワーさんが300人も増えたんです。それもあって、ちょっと自分を見失ってしまったというか。でも少しずつ、自分のペースをつかめるようになってきました。

――心配でしたので、ホッとしました。袴田さんの支援活動をはじめ、現在はどのような生活を送っているのでしょう?

なかがわ:実家暮らしで、週1~2日程度はアルバイトをしています。生活の中心は袴田さんの支援活動で、親のすねをかじりながらも好きなことをやらせてもらっています。支援活動について、親も応援してくれているんです。本音ではちゃんと働いてほしいと思っているかもしれませんが、うつ病で何もできない時期もあったし、一歩前進したと捉えてくれているのかなと信じたいです。

興味をかきたてられ裁判を傍聴したのが転機に

――生活の中心になっている袴田事件と関わりはじめたきっかけは?

なかがわ:昨年、大学卒業後の夏に就職しないでダラダラした生活を送っていて、ふと、興味のあった裁判の傍聴に行ってみようと思ったんです。その公判が、袴田事件でした。当初は、冤罪事件であることしか知らず、せっかく傍聴へ行くならと思い、事前に深く知るために文献などを読んだんです。

何事ものめり込むと、手当たり次第に調べなければ気が済まない性格で、図書館にあった袴田事件に関する文献や事件当時の新聞、ネット上にある情報もひと通りチェックしてから、裁判所へと向かいました。地元の静岡県清水市で起きた事件だったのもあり、使命感に駆られていました。

――人生で初めて見た法廷は、どのように映りましたか?

なかがわ:世間的にも注目されている事件でしたし、警備体制が厳重だったのは強く記憶に残っています。ドラマのように、検察官と弁護士がたがいの主張を激しく言い合うわけではなく、書面を粛々と読み合って公判が進行していくのは意外で、ギャップも感じました。

――もともと、事件や裁判には興味があったんですか?

なかがわ:野次馬的な気持ちがあるのか、袴田事件に限らず、過去に起きた事件のルポルタージュやWikipediaを読むのが好きだったんです。なかでも、清水潔さんの『桶川ストーカー殺人事件―遺言―』は忘れられない一冊で、ジャーナリストとしての姿勢を尊敬しています。

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