「うつ病だった私が…」傍聴に通った24歳女性が“袴田事件は人生そのもの”と語るワケ

「うつ病だった私が…」傍聴に通った24歳女性が“袴田事件は人生そのもの”と語るワケ

読むこと、書くことがずっと好きだった

――自身のブログ「清水っ娘、袴田事件を追う」では「フリーライター」とも、名乗っていました。

なかがわ:ちょこちょこ、お仕事をいただけるようにはなりました。でも、フリーライターの実績としては、胸を張って言えるものがまだないんです。いつか、大きなお仕事にもたずさわってみたいです。

――何かを書いて伝えるのは、昔から好きだったんですか?

なかがわ:そもそも、本が好きだったんです。高校時代は新聞部に入って、好き勝手な記事を書いていましたね。学校の新聞なんて「誰も見ていない」と思って、生徒会長へのインタビューのような王道の企画ではなく、授業中に内職をしている生徒に「内職の極意」を聞いたり、今思えば、とがった記事を作っていました(笑)。大学は文学部へと進み、小説サークルで趣味として作品を書いて、文章を書くのはずっと好きでした。

はじめは市民運動へ参加することに抵抗感も


――袴田さんの支援活動に参加しようと思ったきっかけは?

なかがわ:支援者の方々との出会いは、初公判のときでした。じつは、傍聴の抽選でハズれてしまい、行き場を失っている私に、高齢の支援者さんが「記者さんですか?」と声をかけてくださって、ほかの支援者の方々にもご挨拶することができたんです。巌さんの姉であるひでこさん、弁護士の方々、支援者の方々の熱気に胸を打たれて、私も「何かしたい」という気持ちが湧き、その場で「何かしたいです!」と宣言しました。

――支援者の方々の年齢層はいかがでしょう。すでにある輪に加わるのもなかなか、ハードルが高かったのかなと。

なかがわ:88歳の巌さんと近い世代、70代の方々が多い印象ですね。ただ、年齢が問題なわけではなく、いわゆる市民運動に参加することに抵抗感は多少ありました。でも、支援者の方々と交流を重ねるにつれて、みなさんの優しさが身にしみて、気づいたら私も輪に加わっていました。ネットの時代でありながら、リアルで問題に対して大きな声を上げる活動にも衝撃を受けて、今、自分も参加している姿が想像できなかったです。巌さんやひで子さん、支援者の方々といろんなお話ができるのも楽しくて、続けられています。

――なかがわさんは実際、どのような支援活動を行っていますか?

なかがわ:個人のSNSやブログで発信をしながら、袴田さん支援団体の定例会にも参加しています。ビラまき用のビラもデザインして、無罪判決に向けて、検察庁や裁判所への要請活動にも参加しました。

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