「うつ病だった私が…」傍聴に通った24歳女性が“袴田事件は人生そのもの”と語るワケ

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支援者の一言「会ってみれば?」で巌さんと対面


――精力的に活動する中では、当事者の巌さんや、その姉であるひで子さんと関わるようになったきっかけは?

なかがわ:浜松市が拠点の袴田さんを支援する団体「見守り隊」の方に「会ってみれば?」と言われて、袴田さんのご自宅に伺ったのが最初です。

――静岡地裁で巌さんの無罪判決が出た当日、Xのポストでは巌さんとのツーショット写真をアップしていました。

なかがわ:ご自宅で「おいくつですか?」と聞いたら「儀式があってだな、23歳になったんだ」と巌さんがおっしゃって、「同い年ですね! お友達になってください!」と言ったら「いいよ」と答えてくださったんです。巌さんとのツーショットと共に、ひで子さんも揃ったスリーショットも撮りました。

――なかがわさんから見た、巌さんとひで子さんの印象も伺いたいです。

なかがわ:巌さんは優しい方で、そこにいるだけで私も笑顔になれるような印象で、守りたくなる感じもします。出会った当初は警戒されていたのか、あんまり気さくには話しかけられなかったんですが、何度かお会いして、魅力的な人柄でいらっしゃるんだろうと思うようになりましたね。

ひで子さんからは戦争のお話も伺ったことがあります。なぜ、弟のために頑張れるのか不思議でしたが、それも周りを笑顔にしてくださる巌さんがいるからこそなんだろうなと、接している中で思いました。

無罪判決の日「みなさんの表情が一気にパッと明るく」

――ご本人の温かさも知るなかがわさんは、静岡地裁で無罪判決が出た当日に何を思ったのでしょう?

なかがわ:無罪判決が出た直後は、実感が湧かなかったです。でも、支援者の方々が喜び、みなさんの表情が自然と一気にパッと明るくなったのを見たら実感が湧いてきて、私もうれしくなりました。

警察や検察にでっち上げられた事件だと思いますし、逮捕から無罪判決まで58年もかかったのは許せず、あってはいけないことだと感じています。民事での国家賠償請求も可能性があり、刑事裁判では出せなかった証拠も出せると聞いたので、事件がより掘り下げられるのを期待していますし、私も広く伝えなければと思っています。

――その後の賠償があったとしても、巌さんが奪われた“58年”もの時間を取り戻すことはできませんし、お金には代えられないとも思います。

なかがわ:弁護団の方々が民事で国家賠償を求める可能性もありますが、けっして、お金目当てではないんです。民事裁判では、刑事裁判では出せなかった証拠も出せると聞きますし、事件をより深堀りできると期待して、私もブログなどで広く伝えなければと思っています。

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