「地獄へ落とされたようだった」妊娠5カ月目で迫られた命の選択。これまでの10年間を振り返り、いま思うこと【ゴールデンハー症候群・体験談】

「地獄へ落とされたようだった」妊娠5カ月目で迫られた命の選択。これまでの10年間を振り返り、いま思うこと【ゴールデンハー症候群・体験談】

緊張感のあった退院後の生活。夫や看護師さんの存在が支えに

そんな中でも、病院内のカウンセラーとお話や相談をしたり、看護師の方が記録してくれるMくんの日々の成長をつづった日記から元気をもらいながら、なんとかやっていたと高橋さんは話します。そして生後10カ月がたったころ、ようやく退院が決まりました。

「Mが退院して、初めて家に帰ってきた日のことです。退院する日の前から『その日は一睡もできないだろう』と夫婦で覚悟していましたが、思っていたとおり全然眠れませんでしたね。Mは一定の酸素量を下回るとアラートが鳴る器具をつけていたんですが、夜中に何度も鳴って、そのたびにビクッとして生存確認をするという繰り返しで。ちょうど、その翌日に知人の結婚式に参列する予定があったんですが、寝不足でフラフラになりながらスピーチしたのを今でもよく覚えています(笑)。

それからも、しばらくは心配でおちおち寝ていられませんでした。少し器具が外れるとピーピー鳴るので、夜も常に耳だけは起きているというか。毎晩、夜中に呼吸を確認して、息をしているのを確認できたらホッとするという感じでしたね。

気が休まらない日々でしたが、夫や周囲の方にとても支えられました。私がいなくても夫は家事も育児もできるし、Mが退院してからも一緒に育児をしてくれて心強かったですね。

あと、退院後のケアとして定期的に来てくれていた訪問看護師さんの存在も大きかったです。『代わりに見ているので、お母さんはちょっと休んでいていいですよ』とねぎらってくれたり、世間話の相手やときには相談相手にもなってくれたりとか。病院からの引き継ぎで入院時のことも把握してくれていたので、理解してくれているという安心感がありました。身体的にももちろんですが、精神的にもありがたかったです」(高橋さん)

当時のことを振り返って、「あのころは近所を散歩するだけでも命がけだった」と高橋さん。中でも印象に残っているのは初めてMくんと2人で近所のコンビニに行った日のことだといいます。

「退院後しばらくしてから、わが家から歩いて5分ほどのところにあるコンビニへMと行こうとしたんです。ベビーカーにMを乗せて、下の荷物を入れるスペースに板をつけて、呼吸器とかも持ってフル装備で。

でも、当時Mがまだ小さかったこともあって、道中にちょっとガタガタした道を通るとそれだけでも喉がゼコゼコ言っていて、そのたびに不安でしかたなくて。1人だったら5分の距離でしたが、その日は何十分もかけて慎重にゆっくり歩いて、ようやく着いたときに『ここまで来られた!』と小さな達成感みたいなものを感じるほどでした。今は身体も強くなり多少のことは平気になりましたが、そのころは近所を散歩するだけでも本当にビクビクしていて。当時を思い返すと、今の成長ぶりを感じますね」(高橋さん)

現在、小学4年生。ゲームや音楽が好きな男の子

現在は小学校4年生になったMくん。学校ではほかの子と同じように走ったり勉強したり、家ではゲームで遊んだり音楽を聴くことが好きな男の子です。とくに、最近はプログラミングにはまっていて、オンラインで講座も受けているといいます。

「“マイクラ(マインクラフトの略称)”を使ったオンラインのプログラミング教室があって、Mは月に何回か受講しています。パソコンの操作は自分1人でできるのですが、気管切開をしていて発声がうまくできないので、先生に質問できないときはMが私かパパを呼びに来て、横でサポートしながらコミュニケーションをとっています。

Mはプログラミングや“レゴ“などの組み立てる系のものや、図形、図鑑、理数系の本を読むことも大好きで。知的好奇心が強いのか新しいことを吸収することが好きなようです。学校でもらうプリントを解くのが好きすぎて、どんどんやるからすぐなくなって『もうほかにプリントないの?』って催促するくらい。

音楽や楽器を弾くのも好きですね。Mは胃ろうのため、これまで指を使って食事をしてきていないぶん、指先を動かす練習ができたらと思ってピアノを習っています。本人は練習があまり好きじゃないみたいですが、年に1回ある発表会に向けて自主的に頑張っています」(高橋さん)

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