妊娠20週で赤ちゃんの疾患が判明、出産しても生きられないかも…「可能性がある限り産みたい」それが私たちの命に対する向き合い方【骨形成不全症・体験談】

妊娠20週で赤ちゃんの疾患が判明、出産しても生きられないかも…「可能性がある限り産みたい」それが私たちの命に対する向き合い方【骨形成不全症・体験談】

2020年の夏、恵愛(えま)ちゃんは誕生しました。それはある意味、ママであるのんさんとパパにとって、覚悟の出産でした。妊娠中から、おなかの中の赤ちゃんはほぼ間違いなく「骨形成不全症」であるといわれていたからです。
全2回のインタビューの前編では、恵愛ちゃんを妊娠してから病気と診断され出産を決意するまで、そしてNICUに入院中のことについてママ・のんさんに話を聞きました。

※骨形成不全症…骨がもろく弱いことから、骨折しやすくなり、骨の変形を来たす生まれながらの病気。2〜3万人に1人くらいの割合で生まれるとされる。なお、恵愛ちゃんはその中でも重いタイプのII型。(公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センターのHPを参照してまとめたもの)

胎動を元気に感じていた健診で「赤ちゃんの手足が短い」と…

――恵愛ちゃんの妊娠は、ご夫婦にとってどんなタイミングでしたか?

のんさん(以下敬称略) 実は恵愛の妊娠の半年前に1度、妊娠したのですが、異所性妊娠(子宮外妊娠)でした。とても妊娠を望んでいたのに、あきらめざるを得ない形になってしまったのが、残念で悲しくて。その半年後に再び妊娠がわかって、本当にうれしくて。待って、待って、やっと来てくれた!という感じでした。わが家は私が再婚のステップファミリーで、中学生の長男と小学生の二男がいました。結婚して1年たち、また新しい家族が増えることが、とてもうれしかったです。

――恵愛ちゃんに疾患があるとわかったのが妊娠20週とのことでしたが、妊娠経過はどうでしたか。

のん 初期に少し出血があった程度で大きなトラブルはありませんでした。妊娠20週になり、元気な胎動も感じていて「元気だね」と夫と話していたほど。

恵愛に病気の疑いが指摘された日は、初めて夫が健診についてきてくれたタイミングで「今日、性別がわかるかな」と楽しみにしていました。
腹部でエコーを診てくださった先生が、やけにじっくりと時間をかけて画面とにらめっこしていたので、性別を調べるのに時間がかかっているのかなと思っていたんです。
ところが「ちょっと待ってて」と言われ、別の医師が加わって2人で話しながら一緒に調べている様子でした。そして、「赤ちゃんはすごく元気です。ただ、手足が短く、四肢短縮症の疑いがあります」と疾患の可能性を告げられ、大きな病院ですぐ診てもらうように、と言われたのです。まさに青天の霹靂(へきれき)。おなかの赤ちゃんはこんなに元気に動いているのに、四肢の短縮といわれても、まったく実感がわきませんでした。

――それから大きな病院で「骨形成不全症」と診断されたのですね。そのときのお気持ちはどうでしたか。

のん おなかの中でこんなに元気にしている子が、もしかして生きていけないのかもしれないと思うと本当につらくて、その日はもう、ずっと泣いていました。とくにつらかったのが、病院側から「どうしますか」と聞かれたときです。「次の(妊娠の)機会を待ってもいいんだよ、何を選択してもだれもあなたを責めないよ」と、暗にあきらめたほうがいいというニュアンスのことも言われました。
もちろん私のことを思って言ってくださっているのはわかりましたが、元気に動いているこの子を、私の決断でどうにかしてしまうということが信じられないし、考えられませんでした。診断結果を受けて、どうするか決断するまでの期間がいちばんしんどかったです。

――ほかの家族の反応はどうでしたか。

のん 私の父や母も、私たち家族のことを本当に心配してくれて、そんなに苦労する道を選ぶ必要はない、だれも責めたりしない、ということを言われました。
実はそのころ、夫の気持ちを怖くて聞けずにいました。私は勝手に、きっと夫も父や母と同じ気持ちなんだと思っていました。当時の夫のふるまいや言動を軽く感じて、私ほどつらくないんだろうなと決めつけていたんです。私はただ1人で、涙ってこんなに出るんだなというくらい、人生でいちばん泣きました。

ずっと逃げているわけにもいかないと、思いきって夫に気持ちを聞いたら、「だれがなんと言おうと、この子の可能性にかける」と。まったく私と同じ気持ちでいてくれたんです。

――2人の気持ちが固まったのですね。「骨形成不全症II型」というのは、どのような疾患なのでしょうか。

のん 「骨形成不全症II型」は、「骨形成不全症」のなかでも「周産期致死型」と呼ばれるもので、おなかの中で亡くなってしまったり、たとえ出産できたとしても、生まれて数時間から数週間で亡くなってしまう可能性がある重たい病気です。骨形成不全症の赤ちゃんは、肋骨(ろっこつ)が小さいために肺も小さく、呼吸障害になることもあるそうです。
でも、生きる可能性もある。私たち夫婦は、元気に生まれてきてくれる可能性があるのに、それを信じずにあきらめることができませんでした。
この子がどうなるのか、この目で見届けたい。それが私たちの命に対する向き合い方だと思ったんです。
周囲の人の気持ちを考えると、いろいろな葛藤があったことは事実ですが、出産までの間、産むのをあきらめようと思ったことは1度もありませんでした。気持ちが固まった時点で、お兄ちゃんたちにも話をしました。

――お兄ちゃんたちは、どういう気持ちで受け止めたのでしょうか。

のん 長男は当時中学2年生だったので、あとでそのときの気持ちを聞いてみたのですが、「正直、実感がわかなかった」と。まだ生まれてもいないのに、その子が病気だとか、生きられないかもしれないと言われてもピンとこなかったみたいです。二男も小学校6年生だったのであまりよく状況がわかっていなかったようです。でも2人とも、子どもなりに私を「大丈夫?」と気づかってくれたり、励ましてくれたりしていましたね。

「出産=お別れ」になってしまう可能性のなかでの帝王切開

――出産は予定帝王切開だったんですね。そのときの気持ちを聞かせてください。

のん それから出産までは何のトラブルもなく、本当に骨の病気なの?というくらいおなか中で元気でした。出産は、骨が弱い赤ちゃんが骨折してしまうリスクを考えて予定帝王切開を選択しました。
ただ、出産が楽しみという感じはなく、とても複雑でした。やっぱり、生まれたらそれが同時に赤ちゃんとのお別れかもしれないと思っていたんです。逆にいうと、お別れを覚悟して挑まないと、気持ちがもちませんでした。だんだん出産の予定日が近づいてくるにつれて、落ち込むことも増えました。でも、夫はまったくぶれずにいつでも支えてくれたので、すごく救われていましたね。

――帝王切開で生まれたときの状況を教えてください。

のん 生まれてすぐ、泣き声が聞こえた気がしました。そして出産後の最初の目標は「NICU(新生児集中治療室)に行く」ということでした。というのは、その場で亡くなってしまったら、NICUに行くこともできません。だから、まずなんとかいい状態を保って、NICUに行ってほしいと思っていたんです。出産には新生児科の先生も立ち会ってくれて、「これから(NICUに)行ってくるね」と言って、生まれたばかりの恵愛とタッチさせてくれました。「あ、NICUに行けるんだ」と思ったことを覚えています。

――パパはどうしていましたか。

のん コロナ下だったこともあり、手術室の外で待っていました。NICUに運ばれる恵愛に会うことができたそうですが、そこで先生に「ちょっとこれはまずいかもしれない」ということを言われたそうです。先生は、私には前向きな言葉をかけてくれたのですが、実際は厳しい状況だったようです。

――その後、NICUの恵愛ちゃんには、いつ会えましたか。

のん 出産した当日、ベッドごと運んでもらって夫と会いにいきました。保育器の中に入っている恵愛を見てまず思ったのは、「生きてる、よかった」でした。かわいいよりも、生きていてくれてよかったと。あと「思ったより手足が短くないじゃん」とも。
そして印象深かったのが、目力が強いこと(笑)。生まれたての赤ちゃんって、あまり目が開いてなくて、くちゃっとしているイメージがありますが、恵愛は、目をカッと見開いて、とても目が大きかったんです。夫も「体は小さいけど、目が大きいな」と思ったそうです。

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