B’z稲葉浩志、L’Arc~en~Ciel Hydeら馴染むケースも
たとえば、日本人で初めてMTVのVMAのメインショーに登場したラッパーの千葉雄喜も全身にタトゥーが入っていますが、それをとやかく言う人はいません。
好き嫌いはあっても、彼の姿形と音楽、タトゥーの関係性に、それなりの根拠があると感じられるから認められる。考え方と言動と作品が同じ方向を向いているケースですね。千葉雄喜という存在の統一感が、タトゥーをなじませているのです。
そこまでの本気度は感じさせなくても、アクセサリーとしてタトゥーを上手に使っているアーティストもたくさんいます。B’zの稲葉浩志、L’Arc~en~CielのHydeなどは、なくてはならない一要素として、彼らのキャラクターに馴染んでいる。
何が似合うかをわかってやっているから、かっこよさが先立つわけですね。
Ayaseや優里自身よりもタトゥーの存在感が大きいのが問題
そう考えると、Ayaseや優里のタトゥーが悪目立ちしてしまうのは、いずれの条件も満たせていないからなのではないでしょうか。
Ayaseのケースは不運な面もありますが、似合う似合わない以前に、彼ら自身よりもタトゥーの存在感の方が大きい点ではいっしょ。実はこれが一番の問題なのだと思います。
だから増え続ける図柄に、個性が埋没(まいぼつ)していくように見えるのです。
ただのお小言と侮るなかれ。けっこう世間は音楽を通じて人を見ているものなのですから。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
配信: 女子SPA!
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