●自殺3日前に「マネージャー」として野球部に戻った
自殺の3日前にあたる7月23日、男子生徒は野球部の朝練に顔を出した。監督は当初、マネージャーとして戻る話に取り合わなかったが、もう一度、男子生徒が懇願すると「もうやめられんぞ」と復帰を認めた。
しかし、この日の練習後のミーティングで、何も発言せず座っていた男子生徒に対して、監督は「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ。それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」と強い口調で叱った。監督から男子マネージャーの役割についての説明は一切なかった。
7月24日、男子生徒は炎天下の練習に参加。最高気温は33.2℃、午後8時まで30℃を超えるような日で、熱中症の症状となった部員もいた。男子生徒は、その部員を保健室まで連れて行くが、監督は無断で連れて行ったと激怒した。
7月25日も猛暑で、監督によるノックが午後1時30分から3時間続いた。監督は男子生徒に対して、ほかの部員が聞いている中で「男子だし、マネージャーだったら声を出せ。声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねーんじゃ」と叱責した。
●「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけ」
練習後のミーティングが終わると、男子生徒は1人だけホームベース付近に残された。監督から「マネージャーなんだからマネージャーの仕事をしろ」と叱責された。
帰宅途中、ほかの部員との話の中で、男子生徒は「俺はもうマネージャーじゃない。存在するだけだ」と述べ、立ち去った。
午後6時30分ごろ帰宅するが、家族と会うことなく、自転車で自宅を出た。その後、自殺したと思われる。死亡推定時刻は午後8時ごろとされている。
「最後の息子の言葉は存在価値を否定されたのが原因だと思います。監督の悪い行いの調査報告書への反映率は60%くらいでしょうか。
調査委員会の設置が事件発生後6年以上も経過しているため、生徒のみなさんの記憶が薄れたり、息子の死後、同年10月までの態度をやや改めた監督の記憶に置き換わっていたりしているようです。
事件発生直後に私たちが生徒から直接聴き取った情報がすべては事実認定されず、残念でなりません。また、新たな情報はほぼありませんでした」(父親)
配信: 弁護士ドットコム