●支給決定までの労力は「半端なかった」
報告書が完成した約1年後の2022年2月、JSCに災害共済給付が初回申請された。
「納得できる書類を整えるのに時間がかかりました。JSCへの申請は遺族からではなく、県教委からを選択したためです。学校・県教委とやりとりを繰り返しましたが、なかなか思うような書類を作ってくれません。提出書類をJSCに提出前に何度も確認・修正依頼をしました。
調査報告書にある言葉を使ってはいるのですが、事件加害者としての責任をあくまで認めようとしない姿勢を崩さない状態が半年以上は続きました。そのやりとりを経てようやく申請書を出しました」(父親)
2023年7月、JSCに生前の受診歴がなく、「故意の死亡」とされ、不支給の決定を下されたため、10月に調査委員会の委員である精神科医の意見書を添えた不服審査請求を出した。
その後、JSCへの問合せや開示請求の結果を踏まえ、2024年7月、審査における問題点や新たな精神科医の意見書を添えた遺族意見書を提出した。その結果、同年9月、逆転で全額支給が決まった。
男子生徒が亡くなって12年以上、最初にJSCに申請をしてから2年7カ月が経っていた。
「県教委以外の公的機関が、息子の自死と野球部監督の指導との直接因果関係を認めたことは大変重く、意義深いです。息子と同様の自死事件で、死亡見舞金不支給決定に対する全国のご遺族たちが、長きにわたって苦難の活動を積み重ねたからこそ、逆転決定につながったのだろうと考えています。
しかし、遺族がここまで努力をしないといけないのは大変な苦痛です。労力も半端ありません。時間的にも精神的に徒労に終わることもありました。死亡見舞金の支給を受けるには、苦労がかなりいるだろうと想定していたので、できれば避けたかったのですが、あとに続く遺族の力にもなるという気持ちが大きな後押しになり、最後までやり続けました」(父親)
●遺族の戦いはまだ終わらない
そもそも不適切指導が背景にある生徒の自殺で、調査委員会が設置されるのは難しい。JSCの災害共済給付の支給申請も同様だ。というのも学校側に「加害者的な側面」が出てくるためだ。
遺族側は、県知事に対して、第三者による調査委員会の設置を要望するなど、交渉を重ねてきた。その結果、遺族側が「なんとか我慢できる」という調査委員会の設置が決まった経緯がある。
「JSCの申請も、調査委員会の設置もうまくいっているように見えるかもしれませんが、すんなりできてきたわけではありません。県教委はトータルとしては保身的かつ消極的で、論点ずらしばかりでした。
それと比べると、学校はJSCの支給申請には協力的でした。一方で、学校側が作成する書類を提出前と後にすべて確認していました。とても我慢のいる面倒な作業の繰り返しでした」(父親)
2024年10月、再発防止策の一環として、「教職員による体罰・不適切な指導・ハラスメント防止に係る教育動画」を作成することが県議会で決まり、予算もついた。
男子生徒の母親は12年前から悲願としていたが、ガンを患い、完成前に亡くなってしまった。現在も、県教委の再発防止策案に対して協議中だ。遺族の戦いはまだ終わらない。
配信: 弁護士ドットコム