2024年10月15日、とあるXユーザーが、次のような呟きを投稿し、注目を集めた。
地名と考古学で面白かったのが、大和郡山市の発掘調査で、小字が「サルメダ」というところの発掘調査があって、周りはなんとか垣内とか六反田みたいな平凡な名前なのに、ここだけ「サルメダ」ってなんやねんって思って発掘したら弥生中後期の祭祀跡が出てきて驚いた
「サルメダ」とは、耳馴染みのない名前だ。まるで外国語のようだが、大和郡山市――奈良県北部の市にある地名(小字)だという。
「サルメダ遺跡」の発掘調査や地名の調査などに参加したという、大和郡山市在住のユーザー「又春廓(ゆうしゅんかく)・奴(やっこ)」(@kiraharulab)さんのこのつぶやきには、1万4000件の「いいね」が付けられ、話題に。X上ではこんな声が寄せられている。
「松本零士先生作品に出てきそうな地名」
「サルメダってなんだか999の惑星にありそうな名前ですね」
「諸星大二郎先生の出番ですよ!!」
「稗田礼二郎がアップをしだしそうな名前ですね」
「星野之宣先生だったら『妖女伝説』のエピソードに加えそうな話だ…」
マンガっぽい、と思ったユーザーは少なくないようだ。
たしかに筆者も「サルメダ」には「アンドロメダ」と同じ雰囲気を感じてしまう。
宇宙か、妖か……「サルメダ」って何だろう?
古代豪族の居館に、猿女の存在?
アンドロメダの親戚のような地名、「サルメダ」について、投稿者「又春廓・奴」さんはリプライツリーでこう続けている。
「発掘調査の間に、地名をきちんと調べるとサルメって古事記に出てくる猿田彦と猿女だと分かった。猿女とは古代より朝廷の祭祀に携わってきたとされる一族で、まさにドンピシャ」
「小字名は長い年月、ずーっと伝承されてきた地名であまり変わることはない。その凄さを実感した経験でした!」(「又春廓・奴」さん)
なんと、「サルメ」とはあの「猿田彦」と「猿女」(天岩戸の前で踊った女神・アメノウズメを始祖とする一族に「猿女君」がある)に関係していたのだ!
外国語のような響きの由来が、日本の神話にあったとは、驚きである。
「サルメダ」のことを、もっと知りたい――。
そう思った記者は当時の発掘調査について、大和郡山市役所にも問い合わせてみることに。すると、文化財の担当者が、「こんなものがありますよ」と教えてくれた。
それは、奈良市教育委員会文化財課埋蔵文化財調査センターの、令和3年度秋季特別展「帯解の古墳時代とワニ氏」展示パンフレット。
「帯解(おびとけ)」とは、奈良市街地の南東部にある地名だ。また「ワニ氏」とは、和爾・和珥・和邇・丸邇など様々な表記があるが、この地域を支配した古墳時代の豪族である。
サルメダ遺跡を含む「美濃庄遺跡」は、帯解中心部の西側約2キロの平野部に位置している。パンフレットには、こう記されていた。
「近年の調査で、古墳時代前期後半~中期前半頃の方形区画溝が見つかっています。
ここからは、土器類とともに滑石製品(刀子形・有孔円板・管玉)や、砥石などが出土しています。古墳時代前期後半以降には、全国的に同様の方形区画溝がみつかることがあり、各地域の首長居館と考えられています」
「美濃庄遺跡周辺には、同時期の古墳が存在せず、調査地点の字名がサルメ田(猿女:ワニ氏に関わる巫女)であることからも、東側の帯解・和爾地域の古墳群に埋葬された有力者の居館である可能性があります」(「帯解の古墳時代とワニ氏」パンフレットより)
古墳時代前期~中期というのは、4世紀後半~5世紀前半のことだ。調査で見つかった方形区画溝から、土師器、初期須恵器、滑石製品、砥石などが出土したため、首長居館があったと考えられている。
しかも、「サルメダ」という地名が残っていたことから、「猿女」と関わる有力者のものだと推測できるというわけだ。
それって、もし地名が残っていなかったらどうなっていたんだろう……?
又春廓・奴さんの投稿には、「地名は宝ですね。勝手に変えてはいけませんね」というリプライも寄せられていたが、まさにその通りである。「小字は各地域で残したらいいのにという声にも、共感しました」と又春廓・奴さんも語っていた。
一風変わった「サルメダ」という地名は、1500年以上前(古墳時代)までつながっていた!
残った地名から触れることが出来る、古代のロマン。奈良県って、奥が深い!
配信: Jタウンネット
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