パリのマルシェと日本橋・浜町〜人形町の小売店。“精気”を養ってくれた2つの場所

マルシェと小売店、共通するエスプリ(精神)の交換

あれから20年近く経ち、二度目のパリ生活の復帰第一弾としてまず始めたのも、やはりマルシェ通いだった。実践でのフランス語会話にはブランクを感じたものの、1年を過ぎた頃には、昔のカンがぐんぐん蘇ってきて「おお、これこれ!」という手応えがあった。そして一度目のパリ移住期よりも、ずっと気楽にマルシェでの買い物を楽しんでいる自分に気がついて、「私の何もかもが成長したんだろうな」と思った。フランス語だけでなく、お店の人(他者)を尊重すること、食材についての知識、そして私という等身大の人間がそこにいる確かな存在感も。

もちろんその成長は、一度目のパリ移住期のマルシェ通いだけでなく、東京・下町時代にも同じく培われたはずだ。私が足繁く通っていた日本橋界隈の老舗小売店の女将さんたちは、礼節を重んじる厳しい方が多かった。それは、店に並んでいる商品に自負があり、訪れる客にもそれに見合った品位を求めるから。

東京・下町時代の贔屓店のひとつだった、すき焼き・肉の名店『日本橋・日山』。とにかく質の良い新鮮なお肉が、納得のお値段で買える、老舗ならではの誠実さが魅力。接客する方々も、皆気持ちのいい方ばかりで、当時は気さくな会話をさせていただいた。2階は、クラシックな日本家屋のすき焼き割烹。本物のすき焼きをいただくなら、私は断然日山さん。

そこには売り買いを成立させる《物》と《金》の交換以上に、美しいエスプリ(精神)の交換があり、そうして手に入れたものは自然に愛着も湧く。インターネットで買い物が簡単にできるようになった昨今でも、できるだけ私が実店舗で買い物をするのには、こんな理由がある。

4代目の故・愛猫(♀)のイオと、某老舗の西京漬店にて。イオがおとなしくていい子というのもあったが、猫をお魚の店に連れて入っても嫌な顔をするどころか、「かわいいですね〜!」とあたたかく迎えてくださった。そんな下町人情が大好きだった。

人生はやってみようとする勇気に次の扉を用意してくれる

二度目のマルシェ通いには、愉快な相棒も現れた。フランス人のパートナー、ヤンだ。

楽しみながらも武者修行のように、ひとりでずっと通っていたマルシェが、手を繋いでふたりで向かう、もうひとつの新しい場所へと変わった。50歳を過ぎてから、こんな展開もあるだなんて「人生ってわからないもんだわ〜」とつぶやきながら、今日もひいきのスタンドを巡って力強いフランスの野菜を買う。

素材そのものに力があるフランスの食材たちは、余計な調理がいらず、シンプルなレシピでおいしく仕上がるので、日々の食事の支度は東京時代に比べると楽になった印象だ。

そして、移住前にはどうなるのかと心配していたパリでの日々の日本食キープに関しても、昔と比べて日本の食材が手に入りやすくなって、なに不自由なく暮らしている現在。案ずるより産むが易し。人生は、やってみようとする勇気に、次の扉を用意してくれるものだから。

まな板の上に置かれた太くて立派なポワローねぎ(西洋ねぎ)は、ピカルディーの農家の直売スタンドで今朝買ったものだ。野菜や果物にも動物と同じく命としての親しみを感じる私は、どうやら生き物に触れることでエネルギーをチャージしているらしい。どんな場所でどんなふうに育ったのか?野菜の出所をマルシェでちゃんと質問して、知った上でおいしく料理する。

私という人間が、今日も生きるために命を捧げてくれる食材と語らいながら気負いなく料理する時間は、東京時代と変わりなく、今日もパリで続いている。

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アイスム
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がんばる日も、がんばらない日も、あなたらしく。「食」を楽しみ、笑顔を届けるメディア、アイスムです。 食を準備する人の気持ちが少しでも軽く、楽しくなるように。 おうちごはんのレシピや食にまつわるコラム、インタビューなどを通じて新しい食シーンを提案します。
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