「子供」を職人芸で表現せざるを得なくなった辛さ
「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)のカバーを聞くと、その息苦しさが定着してしまっているようです。
全力で口角をあげ、言葉の最初でほんの少しだけ音程を外す愛嬌を忘れない。2歳の無意識が生み出した奇跡のバランスを崩してはいけないのだと、そこから成長した本人が感じてしまう不条理。このスタイルで歌う限り、ののちゃんは成長すればするほど、幼さを無理に演じなければいけなくなってしまうでしょう。
早く出来すぎた完成形に向かって、後ろ歩きをしているような歌だからです。
ののちゃんの辛さは、誰よりもていねいに「子供」という記号を職人芸で表現せざるを得なくなった子供の姿にあるのだと思います。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
配信: 女子SPA!
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