「川島の名前を出すのが嫌だった」麒麟・田村裕が明かす、コンビ格差を受け入れられたワケ

「川島の名前を出すのが嫌だった」麒麟・田村裕が明かす、コンビ格差を受け入れられたワケ

最近は「人見知り」を克服中


――他にも、最近ご自身で変化したと感じるところはありますか?

田村:人見知りで、初対面の人や苦手なタイプの人とのコミュニケーションが苦手だったんですけど、最近変わってきました。

学生時代やNSCに入ったばかりの頃は常に明るくて友達が多かったんです。反対に、川島はボソボソ話すし人見知りだったんですが、それが僕には何だか羨ましく見えたんです。これだけお笑いの才能がすごい人が積極的に人付き合いしないなら、僕も頑張らなくていいんやと思ったら、どんどん人見知りになっていきました。一方で川島は僕の明るい部分を吸収してどんどん明るく社交的になり、真逆になってしまったんです。

――なぜ最近になって人見知りを克服できたのですか?

田村:最初は、仕事のために別の苦手なことを克服していたんです。梅干しや納豆が嫌いだったんですけど、ロケでは食べないといけなかったり、高所恐怖症だけど高いところから飛び降りないといけない場面もあります。仕事だからと、無理して一つずつ克服していったら、対人関係にも効果が出てきました。

今までなら距離を取っていたタイプの人に対して、「一回我慢して話してみたら変わるかも」という価値観が芽生えるようになったんです。好き嫌いやこだわりを克服する努力をしてみると、対人関係にも意外な影響があるかもしれません。

大人になっても、人は変われる


――芸人として、影響を受けた人はいますか?

田村:『探偵ナイトスクープ』で一緒のスリムクラブの真栄田くんは、人生経験が豊かで、賢いし、スポーツも万能だし、人情に厚いので教わることがたくさんありました。中でも僕を劇的に変えてくれたのは、「自信を持ちましょう」と何年も言い続けてくれたことです。ずっと「俺なんか」って言っていたのを、「もうそれやめて」「田村さんは面白いよ」と言ってくれて、その言葉を受け入れてみようと思ったことで人生が大きく変わったと思います。

――大人になってから、自分の価値観や苦手意識を変えられるのはすごいですね。

田村:アホやから行動に直結させられるんだと思います。例えば、人と話すのが苦手な人が話せるようになるには、人を傷つけない言い方を準備しようとか、会話のためにたくさん言葉を用意しておこうと考えると思うんです。でも僕はアホゆえに話すと決めたら話すので、それがよかったんじゃないかと思います。「そんなん急に変われるか」と言われると思うんですけど、難しく考えるよりも先に行動を変えてしまえば、ポジティブな発見があると思います。

<取材・文/都田ミツコ 撮影/鈴木大喜>

【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。

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