小学生のころ「自分は本当の子どもではないのかも・・・」と違和感が。養子だと知ったのは自身の結婚のタイミングだった【俳優・平野隼人インタビュー】

小学生のころ「自分は本当の子どもではないのかも・・・」と違和感が。養子だと知ったのは自身の結婚のタイミングだった【俳優・平野隼人インタビュー】

結婚するときに、戸籍謄本を見て特別養子縁組のことを知る

小学生のころから「自分は、もしかして本当の子どもではないのかも・・・」と思っていた平野さん。特別養子縁組をした子どもであるとわかったのは、結婚するときでした。

――特別養子縁組のことは、いつわかったのでしょうか。

平野 私が結婚するときです。結婚の手続きをするために戸籍謄本を取り寄せたら、そこには特別養子縁組の成立を示す「民法817条の2による裁判確定」と記されていて、「やっぱり・・・」と思いました。子どものころから「もしかして・・・」という思いがあったので、ショックを受けたりはしませんでした。

――結婚の手続きで戸籍謄本を取り寄せて、特別養子縁組と知ったことについては育ての親に伝えたのでしょうか。

平野 育ての母に電話をして、開口一番「これまで育ててくれてありがとう」と伝えました。
母は「うそをついていてごめんね」と謝っていましたが、私は「うそをつかれた」なんてまったく思いませんでした。「愛情をいっぱいかけて育ててくれてありがとう」という感謝の気持ちしかありませんでした。

――両親から、真実告知はされなかったのですね。

平野 特別養子縁組をすると真実告知といって、育ての親が子どもに、生みの親がいることやその人は事情があって、育てることができなかったことなどを伝えます。しかし父に聞いたところ「当時は、真実告知をしないケースも多かった」と言われました。

――その後改めて、育ての親に自身の出生のことなどを聞きましたか。

平野 とくに聞いたりはしていませんし、聞こうとも思いません。たとえば実の子が実の親に「なんで僕のこと産んだの?」などと、理由は聞いたりしないのではないでしょうか。それと同じ感じです。

ほんの少しの違和感があったといっても、父母のことは、ずっと父母だと思ってきていましたし、特別養子縁組のことを知ったからといって、両親への思いや両親との関係は何も変わるものでもありません。血のつながりがすべてではないんじゃないかな、と私は考えています。

私が中学2年生のときに、父は60歳を迎えました。父が48歳ごろのときに当時2歳の私を特別養子縁組で迎え入れてくれたのですが、自分が大人になった今は、その当時の父母は、どんな思いで2歳の子を迎え入れたんだろう? そこに至るまで、さまざまな悩みがあったんだろうな・・・と考えます。
 
お話/平野隼人さん 協力・写真提供/PONTE 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部

さまざまな事情で親と離れて暮らす子どもたちは、日本には約4万2000人いると言われています。平野さんが、自身の経験を話してくれたのは、そうした子どもたちがいるということを、もっと多くの人に知ってほしいという思いからだそうです。特別養子縁組で育ての親の元で成長をした経験をもつ平野さんは、現在は自身が里親としての活動をしています。

インタビュー後編は、平野隼人さんが里親になった理由について聞きました。

「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

平野隼人さん(ひらのはやと)

PROFILE
青森県出身。声優・俳優として、ゲーム「忍スピリッツS 真田獣勇士伝」海野六郎、ボイスドラマ「地獄くらやみ花もなき」小野篁/獅堂暁希人、映画GEMNIBUS vol.1「ゴジラVSメガロ」などに出演。2022年に夫婦で里親認定を受ける。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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