「まるで砂時計のように流れていく」発達障害児の子育て、つらい無力感の中でも頑張れた理由

「まるで砂時計のように流れていく」発達障害児の子育て、つらい無力感の中でも頑張れた理由

5歳でADHD・広汎性発達障害と診断された息子との日々。それは楽しいよりも、つらく苦しいことの多い日々でした。「いつまで続くんだろう」と終わりの見えな毎日に疲れ、答えを探していた私。自分は何をしているんだろうと未来が見えなくなりながらも、日々を越えて今思うことがあります。この記事はインスタグラムで「発達障害と共に生きる」家族のコミュニティ「そらあい」のSHI-・ママに寄り添う発達凸凹育児アドバイザー(@_so_ra_ai_)が思いをつづります。

©_so_ra_ai_

「終わりの見えない日々」に下ばかり向いていた

やっとの思いで診察の日を迎えた日。先生の口から「発達障害だね」そう言われた日から私は息子を「障害児」として見る日々が始まりました。

親として申し訳ない気持ち。

強い葛藤、何で私なんだろう、どうしてうちの子なんだろう。

そんな思いを背負いながら日々繰り返す「息子との関わり」に疲弊していきました。

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この子のために何かしなきゃ。どうにかしなきゃと必死で本を読んだり、ネットで調べたり。

「私がどうにかしなきゃ」「この子のために何かをしなきゃ」の思いで、知らぬ間に自分自身をどんどん追い詰めていきました。

困っているのは親も同じ

発達障害のある子についての言葉「困らせる子は困っている子」。

この言葉にハッとさせられた日から一転。

私は行き場をなくし、どん底に落ちていくのを感じました。

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どんなに本に書かれている事を実践しても。どんなに受診し先生の言うように対策しても。全然うまくいかない。

やってもやってもサラサラと「砂時計」のように流れて、手ごたえはない。その繰り返し。そんな日々に毎日泣き崩れていました。「ねぇ、ママどうすればいいの?」そう怒鳴る事も増える。こんなことを望んでないのに、息子を怒ってしまう自分にも腹が立ちました。

そして外では、周囲の人にかけてしまった迷惑に対し「ごめんなさい」の毎日。どんどん自分の心の行き場をなくしていたのです。

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