みなさんこんにちは!ワフウフです。
認知症になった母・あーちゃんの介護を姉・なーにゃんと2人でしています。
認知症が発覚した当時母は父・たんたんと自宅で暮らしていましたが、父の精神的・経済的なDVから逃れるため、2019年4月に介護付有料老人ホームへ入居しました。
母が家を出てから3年半ほど経った頃の話です。
普段はお金のこと以外で連絡してくることがない父が珍しく連絡をしてきたと思ったら、自分の手術の術前説明に付き添って欲しいという連絡でした。
前に「お前たちの世話にはならない、僕はぽっくり逝くよ!」と啖呵を切った父が何事もなかったかのようにこちらを頼って来たので、思わず「ぽっくり逝くと言っていたのにね」と嫌味なメールを返したら、父はそれに対して返信をしてきませんでした。
数日経っても連絡がないので、姉が本当に付き添いが必要なのかどうか聞くためにもう一度父にメールを送りました。
何故なら父にとっては不本意ではあっても、あれだけの啖呵を切った以上、娘達の手を煩わせるならばちゃんと「お願い」をして欲しかったからです。
しかし、父の返事は…、
…ん? 「ワフウフ『でも』ありがたい」…?
『でも』とは⁉︎
父は母・あーちゃんと姉・なーにゃんに立会いを頼んできたけれど、ワフウフでも妥協しますよということでしょうか。
そんな言い方をされると、わざわざ仕事を調整して有給をとってまで父に付き添うのが馬鹿馬鹿しくなりました。
おまけに、その後父はこんなメールを送って来ました。
認知症になった母がまだ自宅にいた頃、自分で薬も管理できず、ご飯も作れずパンやお菓子ばかり食べていても、父はそれを平気で放置していました。
それなのに、自分が具合が悪くなったら自分の面倒だけはみてもらおうというのでしょうか。
あまりにも虫のいい話です。
ましてや、認知症が進んだ今の母に人の面倒なんか見れるわけがないのに。
自分の事すら満足に出来ないのですから。
母が家を出てから3年以上、母に会おうともせず帰って来てくれと言うわけでもなかったのに、自分がちょっと体調を崩したら「夫婦は一緒に住むのが自然」と言われても…。
父にとって母はどれだけ都合の良い存在なのだろう、父の言う「夫婦」とは一体なんなのだろうと思うと、腹立たしい気持ちでいっぱいになりました。
ワフウフ
アラフィフの主婦。昭和を引きずる夫、大学生の長男、高校生の長女の四人家族。実母のアルツハイマー型認知症発覚をきっかけに備忘録としてAmebaでブログを始める。電車で1時間半強かかる場所に住む実母の生活のフォローに姉とふたりで四苦八苦する毎日を、イラストと笑いと毒をほんのり混ぜながらブログに綴る。
配信: 毎日が発見ネット