「涙がとまらない、だれとも会いたくない…」息子が重度の難聴とわかり、産後うつに。同じように悩む人を元気づけ、支え合いたい【体験談】

「涙がとまらない、だれとも会いたくない…」息子が重度の難聴とわかり、産後うつに。同じように悩む人を元気づけ、支え合いたい【体験談】

神奈川県に住む美砂江さん(37歳)は6歳の女の子と3歳の男の子を育てる母です。第2子の糸優(しゆう)くんは生後3カ月で重度難聴と診断されてから補聴器を装用し、生後10カ月で人工内耳手術を受けました。
美砂江さんは聴覚障害をもって生まれた糸優くんをどう育てればいいか悩んだ経験を生かし、難聴児を育てる親のピアサポートコミュニティを立ち上げました。全3回のインタビューの最終回です。

重度難聴の確定診断のあと、産後うつの症状が

生まれて4日目の新生児聴覚スクリーニング検査でリファー(要再検査)との結果が出て、小児難聴の専門医がいる病院で検査をした糸優くん。生後3カ月のころに検査結果がわかり、重度難聴と診断されました。母の美砂江さんは、子どもが聴覚障害をもって生まれた現実と、産後の不安定な精神状態が重なって体調をくずしてしまいました。

「生後3カ月くらいのときに重度難聴の確定診断が出されました。それまでの何回かの検査でも難聴であることはわかっていたので、検査結果自体には、『やっぱりそうか・・・』とそれほどショックは受けませんでした。けれど、確定診断が出たことで、それまで張り詰めていた糸がプツンと切れたみたいに、涙が止まらなかったり、だれにも会いたくなくなったり、だれとも連絡もとりたくない、なにもしたくないと、自分でもわかるくらい普通じゃない状態になってしまいました。3歳の娘に『ママだいじょうぶ・・・?』って本気で心配されているのがわかるほどです。

私は養護教諭として働いていたんですが、看護師の資格ももっていたので、自分でエジンバラの産後うつテスト(※をやってみたらかなりの高得点でした。これは産後うつに違いない、と思い、とにかく何か薬を処方してもらおうと病院へ。病院を受診するだけでもかなりエネルギーを消耗する状態でしたが、2カ所の病院から『産後うつは診られない』と断られてしまって・・・。心が折れそうになっていたところ、2件目の病院で紹介された区の保健師さんが親身になって病院を探してくれました。保健師さんに紹介してもらった病院を受診し、処方してもらった薬を飲んだら、気持ちの落ち込みがみるみる回復しました」(美砂江さん)

※産後うつ病のスクリーニングを目的として作られた10項目の質問票

難聴児の親同士、ともに元気づけ、支え合いたい

美砂江さんは育休に加え、産後うつの療養休暇も取得。通院しながら糸優くんの療育に通いました。そして、糸優くんが1歳を過ぎたころ、公認心理師が新たに国家資格となった際、5年間の養護教諭としての実務経験があれば受験できると知ります。子育ての合間に勉強し、資格を取得しました。

「ろう学校や療育で難聴児のママたちと話していると、子どもが難聴かもしれないとわかったときは泣いてばかりだったという人がほとんどでした。そして多くの人は当時の自分を振り返って『泣いてばかりでダメな母親だった』とか『子どもに申し訳なかった』と話すのです。そんなママたちの思いを聞いて、悲しみにくれる時期も障害を受容していく大事な過程だから否定しなくていいのに・・・という思いがずっとありました。

そこで、自分が産後うつを経験したことや、その後公認心理師の資格を取ったこともあり、いくつかの団体で『障害受容』についてお話しする機会をいただきました。私の障害受容の話を聞いて『心が救われた』『今はまだ障害受容できてないけど、それでもいいんだってことがわかって安心した』という感想をたくさんもらったことで、ママたちの気持ちが少しでも軽くなる場を作りたいなと思うようになったんです」(美砂江さん)

美砂江さんは同じく難聴児を育てる親である友人とともに、難聴児とその家族のためのピアサポートコミュニティ『Lelien(ルリアン)』を立ち上げます。

「2024年1月からスタートし、半年で日本全国から50人以上のメンバーが集まってくれました。メンバー同士のオンラインでのお話会や、ゲストを招いてのトークイベント、対面イベントなどを行っています。そのほか、メンバーのお子さんが人工内耳手術をした際のレポートなども公開しています。

難聴の赤ちゃんは年間約800人生まれると言われています。新生児聴覚スクリーニング検査を実施する自治体が増えたことで、赤ちゃんのうちに難聴があるとわかることが増えてきたのだと思います。子どもが難聴だと診断されても、難聴児を育てることに関しての情報が圧倒的に少ないなかで、親たちはみな不安を抱えているのではないでしょうか。

Lelienに参加される方は、子どもが難聴と診断されたばかりの人、どうやって子どもの言葉を育てればいいかわからない人、人工内耳手術を検討している人など、難聴児の育児情報を求めている人が多いです。孤立しがちな難聴児育児の不安を、親同士のつながりで希望に変えていきたいと考えています」(美砂江さん)

周囲に難聴児を育てる仲間がなかなか見つからない人にとって、『Lelien』は弱音をはける場であり、仲間たちの姿に励まされる場所でもあるのだそうです。活動を通して美砂江さんが課題に感じているのは、難聴児を育てる母親の負担が大きいことです。

「難聴児を育てるママたちの働く環境にも課題を感じています。難聴児のための療育や学校などの機関では、昔は問答無用で『お母さんはお仕事を辞めてください』と言われていたそうで、今でもそういうスタンスの療育や学校はあります。それは、子どもの学校に付きそうだけではなく、子どもの言葉の力を養うためにそれだけ子どもと向き合う時間を増やすためなんだろうと理解はできます。

でも、両親が共働きのご家庭も増えていますし、きょうだい児(難聴児の兄弟姉妹のこと)がいるご家庭、近くに頼れる親戚がいないご家庭、ご両親が元々お話しするのが苦手なご家庭、などご家庭によってさまざまな事情があると思うんです。そういう方たちが、難聴児が生まれたから長時間子どもと一緒に過ごして言葉のやり取りをいっぱいしてください、と言われても難しいときもあると思います。だからといって、保育園の一時預かりやベビーシッターをお願いしようとしても、補聴器や人工内耳を装用しているという理由で断られることも多いんです。

だから、将来的には難聴児のための児童発達支援事業所や放課後等デイサービスのような場所を作りたいと考えています。母親が仕事を辞めなくてはならない状況や難聴児育児で母親だけが頑張る状況をなんとかしたいです」(美砂江さん)

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