700グラムで生まれ「3日しか生きられない」と言われ…。小頭症(重度脳性まひ)の息子と家族との9年間の日々。前向きになれたのは家族や周囲の支えがあったから

700グラムで生まれ「3日しか生きられない」と言われ…。小頭症(重度脳性まひ)の息子と家族との9年間の日々。前向きになれたのは家族や周囲の支えがあったから

退院後は呼吸管理に気をつかいながらも、愛情を注ぐ日々

そんな状況だったにも関わらず、奇跡的に呼吸状態が安定し、3日目には自発的に排尿もできるようになった生翔くん。3、4カ月たったころには人工呼吸器をはずすことができたそうです。そのあと生翔くんが退院するまでの間、山崎さんは毎日母乳を病院まで届けたそう。そのかいもあり、半年後には生翔くんの体重は2500グラムまで大きくなりました。

「医師と話していた“2500グラムになったら退院”という目標を、半年後にかなえることができました。とはいえ、自宅に帰ってきても酸素投与で呼吸管理をする必要があり24時間酸素を送っている状態なので、退院後はとにかく風邪をひかせないように気をつかいました。もちろん外にも連れて出られないですし、上の子どもたちが小学校や保育園で病気をもらってくるので、すごく神経を使って管理をしていました。最初のころはそこがいちばん苦労した部分ですね。とはいえ、やっぱり風邪をひくこともあったので、そのたびに入退院を繰り返していました」(山崎さん)

そのころを振り返り、「あとは、ずーっと抱っこだったのがとにかくたいへんでしたね(笑)」と山崎さん。

「ずっと保育器の中にいたので、愛情不足というのか…。とにかく甘えん坊で寂(さみ)しがり屋さんでしたね。抱っこしてないと顔を真っ赤にさせて泣くんです。そうすると呼吸器の酸素の値がどんどん下がっていくので、とにかくそれが怖くて…ずっと抱っこしていました。私も寝不足が続いた1年でした」(山崎さん)

療育施設への通所で気持ちに変化が。本当の意味で「前を向けた」

生翔くんが1歳半のときに職場復帰をした山崎さん。それを機に生翔くんは療育施設に通うように。療育施設への通所は、生翔くんの変化はもちろん、山崎さんにも大きく影響を与える転機となりました。

「医療的ケアが必要な子どもたちを預かってくれる、病院内の施設に通うことになりました。最初は大泣きして通っていましたが、数カ月たつと楽しんで通うように。看護師さんも保育士さんも理学療法士さんも、必ずだれかが自分に付き添ってくれて相手をしてくれる。それが息子にとっては本当にうれしかったみたいで。自分がやりたいことや、できることを伸ばすというのが療育ならではなので、寄り添ってくれるのがありがたかったです。

そこのスタッフさんたちはとても温かくて。『しゃべられなくても歩けなくても関係ないよね、かわいいから!』みたいな。皆さんの“かわいい”っていう言葉にすごく救われました。

生翔自身の変化もありましたが、それ以上に大きく変わったのは自分の気持ちの部分です。こういった場所を経験するのは初めてでしたし、障害児や医療的ケア児は自分の子どもしか知らなかった中で、施設に行くと本当にいろんな症状の子どもたちに会うんです。

私が今まで見たことのない世界で最初は戸惑いもあったんですが、まず知ることができたっていうのは自分の中でも大きな変化だったなと。こんなふうに社会って受け入れてくれるんだと思いましたし、そこに通っている子どもたちの親御さんたちも前向きなんです。いろんな人たちと関わって、初めて本当の意味で前を向けたのはその時期だったと思います」(山崎さん)

関連記事: