写真家の中川正子さんが、旅をしながら出会った食の風景を写真と文章で切り取る、「中川正子さんとめぐる、旅と食。」今回は、京都駅から電車で10分、滋賀県の大津を訪れました。穏やかな湖があるこの街には、自分を決して大きくは見せない、だけど静かな情熱を持つ店主が営むカレー屋がありました。
京都駅から10分、大津へ向かう
はじめて滋賀の大津に行った。旅行客で猛烈に混んでいる京都駅を抜け、新快速に乗る。車内はぐっと地元っぽい雰囲気のひとに変わる。10分弱で大津だ。
駅を出ると、広い空があった。まっすぐ伸びる道の先には海が見える。のびのびとした空気を吸い込みながら海に向かって歩く。
海?いや、あれは、湖だ!
そう、あの青い水は、海ではない。日本一大きい湖、琵琶湖だ。
県庁所在地でもある大津駅からこんなに近いと思わなかった。もっと遠くにあるような気がなぜか、していた。
立派な街路樹を眺めながら、まっすぐ伸びる気持ちのよい道を歩く。高い建物がなくて、のんびりしたよい街。せっかくだし湖でも目指してみるか。ぐんぐん進むと左手にガラス張りのお店があった。お、カレー屋だ。
そういえばお昼を食べていなかったから、入ってみることにする。
看板には「ポンセ」とある。なんだか、かわいい名前。
店のドアを開けると、野球のユニフォームを着た背の高い男性が迎えてくれた。
壁には大きな筆文字の開店祝いが何枚か貼ってある。そのひとつに目を吸い寄せられる。鳥肌実。前衛的なパフォーマンスで人気を博していたアーティストだ。ここ、いったいどんな店なんだろう?
メニューを開く。もりもりっぽいカツカレーも気になるけど、「ダークキーマカレー」を注文することにする。中華スパイスが効いているらしい。ガラスの窓が大きくて気持ちがよい。
カレーを運んできてくれた男性は店長の梅原さん。滋賀の方ですか?わたしの質問に「僕は京都なんです」とおっしゃった。なんだか静かな佇まいの中に強いパッションを感じる。もうちょっと話を聞いてみたい。少しお時間をくださることになった。
京都から大津に移住した店主の「普通のこと」
梅原さんはもともと福祉の仕事をしていて、そのご縁で12年前に大津に来たそうだ。障がい者と関わるうちに、「お互いにとって良い仕事」について考え始めた。福祉業界に根強く残る古い仕組みや考え方に出合い、疑問を持った。健常者も障がい者もあたりまえに普通のことができたらいい。それぞれができることを無理なくできる、みんながよきことになる仕組みを作りたい。
そんな思いで、所属していた社会福祉法人でカレー屋を開いた。下ごしらえの作業を障がい者の方々が担った。野菜の形が少々不揃いでもミキサーにかけてしまうから、切り方の精度は特に問題にならない。そうやって、それぞれの持ち場でやれることをする。障がい者を雇用していることを売りにもしないし隠しもしない。ただ、「普通のこと」としてやる。
そう、梅原さんは、何度も「普通のこと」と言った。
福祉の世界に外から飛び込んだ彼ならではの、まっすぐな言葉だと思った。
単にカレー屋として運営するのではなく、地域に開かれた場所にするという工夫も続けた。彼がおもしろいと感じる街のひとを集めてインタビューするイベントをやったり、アートオークションをしたり。やがてお店にはさまざまなひとが集まるようになった。
梅原さんは「おもしろいひと」という表現もよく使う。おもしろいひとを集めておもしろいことをやりたかった、と。ジャンルは問わず独自の活動をしているひとびと。そしておもしろいひとはおもしろいひとを呼ぶ。彼はやがて社会福祉法人を独立し、仲間とポンセを始めた。それが半年くらい前のことだ。
そういえば、どうして野球なんですか。彼の着ているユニホームについて改めて尋ねてみた。1990年ごろ、梅原少年は大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のカルロス・ポンセ選手のファンだったそう。そこから着想を得て、ポンセさんの名前を借りることに。ポンセという楽しげな響きもよかったと。たしかに「ポンセ」ってちょっと言いたくなる!
店名のロゴにある似顔絵はポンセさんを描いたものだ。で、ポンセさんだし野球のユニホーム。袖にはサポーターとして彼らを応援する地元の企業の名などが縫いつけられている。前述の鳥肌さんもサポーターのひとり。なかなかのインパクトだ。
配信: アイスム