病気をもらうと悪化して入院ばかりの双子たち
愛彩さんが退院してから1年ほどは、実家の両親に手伝ってもらいながら、双子育児をしていたさとみさん。正樹さんは自宅から通勤し、平日の仕事終わりや週末にさとみさんの実家に通う生活をしていました。
「娘たちが1歳半を過ぎたころに自宅にもどりましたが、当時仕事が忙しく、帰宅時間が遅かった夫に対して、娘たちの人見知りがすごくて大変でした。娘たちにとって夫は、たまに来る知らないおじさんのような存在だったのかもしれません。
2人の毎日の入浴は夫が帰宅してからやってもらっていたんですが、娘たちは夫に抱っこされた途端『さらわれる!助けて!』と言わんばかりに大泣きするんです(笑)。困った顔をした夫の様子は今でも忘れられません。
『こんなに泣かれてもだまってお世話してくれるんだから、私は娘たちの前で夫のことを絶対に悪く言わないようにしよう』と心に決めました。今は夫と娘たちはすごく仲よしです」(さとみさん)
保育士という仕事柄、子どものお世話には慣れていたさとみさん。双子たちとの当時の生活について「自宅で保育園をやっているような感じだった」と言います。
「日中はお散歩に出かけて、帰ってきてお昼を食べて、昼寝させて、娘たちが寝ている間にコーヒーを飲みながらハンドメイドの作品を作るような日々でした。娘たちはとってもかわいいし、毎日が楽しくて幸せを感じていました」(さとみさん)
しかし、小さく生まれたこともあってか、3歳くらいまでは風邪が悪化しやすく頻繁に入院することもありました。
「娘たちが地域のほかの子どもたちとかかわることも大事だと思い、近所の子育て支援センターや子育てサロンにも出かけることもありました。が、そのたびに必ずと言っていいほど病気をもらっていました。風邪をひけば悪化して肺炎になってしまうし、嘔吐をしたら脱水になってしまうし、娘たちは何度も入院していました。病気をして入院すると体重が減ってしまうんです。私にとってはそれがとてもつらいことでした。
当時の私は、娘たちの体重が母親としての通信簿だと思っていたんです。娘たちの体重が増えることが、自分がいい母親だと評価されているような・・・今考えれば、体重が一時的に減るくらいたいしたことではないとわかるんですけど、あのときの自分は必死でした。離乳食もおやつも全部手作りして、自分が作ったごはんがこの子たちの体になることに喜びを感じていました」(さとみさん)
風邪をひくと悪化してよく入院になってしまっていた双子たち。あるとき愛彩さんが入院中にけいれんを起こしてしまいました。
「2歳のお正月にインフルエンザで入院になったときに、病院で最初のけいれんがありました。そのときは熱性けいれんだと言われていましたが、その後も何度も発作を起こし、結果的にてんかんと診断されました。今娘たちは22歳ですが、愛彩はこれまで20回以上のけいれん発作を起こしています。幸いなことに、毎回自宅で親といるときに発作があったので、転落してしまったり、外出先で交通事故などに合わずにこれています。
最近は、思春期から成人する時期でのてんかんの薬の調節が難しく、体調不良が続いています。これからも長期的につきあっていかなくてはならない状態です」(さとみさん)
お話・写真提供/小林さとみさん 協力/板東あけみさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
■リトルベビーサークル「ポコアポコ」のInstagram
@poco.a.poco_shizuoka
明るく取材に答えてくれたさとみさんですが、出産当時のことを思い出すと今でも涙がこみ上げるのだそうです。ただ双子の命の無事を願う、さとみさんの深い愛を感じました。
インタビュー後編は、幼稚園や小学校と集団生活での双子の様子と、リトルベビーハンドブックの制作について聞きます。
「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年11月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
配信: たまひよONLINE
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